瞑想のやり方 完全ガイド — 場所・姿勢・呼吸・雑念・続け方

瞑想の基本

瞑想のやり方は、場所・時間・姿勢・目・呼吸・雑念・終わり方の七つを順に決めれば、今日から始められます。
姿勢は結跏趺坐でも半跏坐でも椅子でもよく、呼吸は息を数える「数息観」から入り、浮かんだ雑念は消そうとせず流します。
まずは10分。うまくできたかどうかを採点せず、同じ時刻に同じ場所で座ることが、いちばん確かなやり方です。

瞑想のやり方は七つの要素に分けると迷わない

瞑想のやり方を調べると、流派ごとに細かな違いがあり、どれが正しいのか分からなくなります。けれども、どの流派のやり方も、分解すると同じ七つの要素でできています。場所、時間、姿勢、目、呼吸、雑念の扱い、終わり方です。この七つを一つずつ決めていけば、「何をどうすればいいのか」という迷いはほとんどなくなります。

このページでは、特定の流派に偏らず、どの瞑想法にも共通する形で、宗派や信仰にかかわらず誰でも取り組めるように、その七つを順番に説明します。手順は次のとおりです。

  1. 場所を決める
  2. 時間を決める
  3. 姿勢を整える
  4. 目をどうするか決める
  5. 呼吸を数える(数息観)
  6. 雑念を流す
  7. 静かに終える

それぞれの要素には、さらに詳しいページがあります。このページで全体を一度つかんでから、気になるところへ進んでください。

瞑想という言葉を、このページでは「心を一つのところに留め、そこに起きることを静かに見る練習」という意味で使います。仏教では、心を一つに留める側を「止(サマタ)」、起きていることを観る側を「観(ヴィパッサナー)」と呼び分けますが、初めのうちは区別を気にしなくて構いません。まず座ることが先です。

手順1 場所を決める — 静かであれば十分

瞑想に特別な部屋は要りません。条件は三つだけです。人に話しかけられない、音と光が強すぎない、座る場所が平らである。この三つが満たされていれば、寝室の隅でも、職場の空いた会議室でも、車の中でも瞑想はできます。

仏教の修行の場である道場や禅堂は、たしかに静かで整えられています。けれども、それは「静かでなければ瞑想できない」からではなく、「毎日同じ条件で座れるように」整えられているのです。家で瞑想をするときも、大事なのは静けさの度合いより、毎回同じ場所で座ることです。同じ場所に座ると、体がその場所を「座る場所」として覚え、座った瞬間に心が落ち着きやすくなります。

香や音楽は、あってもなくても構いません。使うなら、毎回同じものを使うほうが「合図」として働きます。ただし、音楽に気持ちよく浸っている状態と、瞑想とは少し違います。音楽を使う場合は、音楽を聴くことが目的にならないよう、小さな音量にとどめておくとよいでしょう。場所と道具については、瞑想に向いた場所・環境 と 瞑想の音楽・香り・道具 で詳しく扱います。

手順2 時間を決める — 長さより、同じ時刻

次に決めるのは、一回の長さと、一日のうちのいつ座るかです。

長さは、初めは10分で十分です。10分が短く感じるようになったら15分、20分と延ばします。長く座れば座るほど良い、というものではありません。私自身の毎日の実践も、短い日は10分、長い日で60分です。時間については 瞑想は何分やればいいか で詳しく述べますが、結論だけ言えば、「無理なく毎日続く長さ」が、その人にとっての正しい長さです。

いつ座るかは、朝でも夜でも構いません。朝は頭が整理されていて集中しやすく、夜は一日の緊張がほどけていきます。どちらにも長所があるので、生活のなかで「毎日ほぼ確実に空く時刻」を選んでください。起きてすぐ、出かける前、帰宅して着替えた直後、寝る前など、すでにある習慣の直後に置くと忘れにくくなります。朝か夜かの比較は 瞑想は朝と夜どちらがいいか をご覧ください。

時間を決めたら、終わりの時刻をタイマーで知らせるようにしておくと、途中で時計を気にせずに済みます。穏やかな音のタイマーを一つ用意しておくとよいでしょう。

手順3 姿勢を整える — 結跏趺坐・半跏坐・椅子、どれでもよい

姿勢は、瞑想のやり方のなかで最も質問の多いところです。先に結論を言えば、結跏趺坐でも半跏坐でも椅子でも構いません。大事なのは脚の組み方ではなく、背骨がまっすぐ立ち、体の軸が一本通っていることです。

結跏趺坐(けっかふざ)は、両足の甲をそれぞれ反対側の太ももの上に乗せる組み方で、仏像の多くがこの形をしています。土台が最も安定しますが、股関節と膝に柔らかさが要り、多くの大人にはすぐにはできません。半跏坐(はんかざ)は、片方の足だけを反対の太ももに乗せる組み方で、結跏趺坐より楽に組めます。椅子に座る場合は、浅めに腰かけ、背もたれに寄りかからず、両足の裏を床につけます。

どの座り方でも、次の点は共通です。

  • 腰を少し前に入れ、骨盤を立てる。坐蒲(ざふ。坐禅用の丸い座布団)や折りたたんだ座布団をお尻の下に敷くと、骨盤が立ちやすくなる
  • 背骨は、頭のてっぺんを糸で軽く吊られているように伸ばす。力で反らさない
  • 肩の力を抜き、あごを軽く引く
  • 手は、膝の上に置くか、へその下で重ねる。手の形(印)は流派によって違うが、初めは楽な置き方でよい
  • 口は閉じ、舌先を上あごに軽くつける

姿勢は「正しい形を作る」ものではなく、「長く座っていても疲れない形を見つける」ものです。痛みを我慢して組む必要はありません。膝や腰に不安がある方は、椅子から始めてください。椅子で座る瞑想は、床で座る瞑想より劣るものではありません。姿勢の細部は 瞑想の正しい姿勢 — 椅子でも床でも、手の形は 瞑想の手の形(印)、痛みやしびれについては 瞑想中に体が痛い・足がしびれる で扱います。

座ったら、体を左右に二、三度ゆっくり揺らし、揺れが小さくなったところで中心に止めます。これで体の軸が定まります。瞑想の途中で体が揺れてきたときも、同じように中心を意識して止めます。

手順4 目をどうするか — 閉じる、半眼、開ける

目は、閉じてもよいし、半眼(はんがん。まぶたを半分ほど下ろし、視線を1メートルほど先の床に落とす)でもよいし、開けていても構いません。どれが正しいかは、行う瞑想の種類によって変わります。

坐禅では、半眼で壁や床を見るのが基本です。目を閉じると眠気や空想に流れやすいためです。一方、呼吸や体の感覚に意識を向ける瞑想では、目を閉じたほうが内側に集中しやすいことがあります。密教の観想のように対象を目で見てから心に映す瞑想では、初めは目を開けて対象を見ます。

初心者の方には、次の使い分けをおすすめします。眠くなりやすい人、空想に流れやすい人は半眼か開眼。周りが気になって落ち着かない人は閉眼。そして、瞑想中に眠気が強くなってきたら、そのときだけ目を開けて続けます。目の扱いは 瞑想中は目を閉じるか開けるか で詳しく述べます。

手順5 呼吸を数える — 数息観から入る

姿勢と目が決まったら、呼吸に意識を向けます。呼吸を操作して深くする必要はありません。自然に出入りしている息を、ただ数えます。これを数息観(すそくかん)といい、仏教で最も古くから伝わる、最も基本的な集中の方法です。

やり方は単純です。

  1. 息を吐くときに、心の中で「ひとつ」と数える
  2. 次に吐くときに「ふたつ」
  3. 「とお」まで数えたら、また「ひとつ」に戻る
  4. 途中で数が分からなくなったら、責めずに「ひとつ」から数え直す

吸う息ではなく吐く息で数えるのは、吐く息のほうが長く、ゆっくりしていて、体の力が抜けるからです。吸う息は体が自然にしてくれますから、吐くことだけに気を配ればよいのです。

数が分からなくなることは、失敗ではありません。むしろ「分からなくなった」と気づいた瞬間が、瞑想の中でいちばん大事な瞬間です。心がどこかへ行っていたことに気づき、呼吸に戻る。この「気づいて戻る」一往復が、瞑想の練習の正体です。数を数えることは、戻ってくる場所を作るための工夫にすぎません。

数息観に慣れてきたら、数を数えずに、ただ息が出入りする感覚を見守る段階に進みます。これを随息観(ずいそくかん)といいます。ただし、急ぐ必要はありません。数えているうちは数えていればよいのです。呼吸の扱いは 瞑想の呼吸法 — 数息観から始める と 呼吸瞑想・数息観とは で詳しく扱います。

手順6 雑念は流す — 消そうとしない

瞑想を始めた人がほぼ全員ぶつかるのが、「雑念が消えない」という壁です。座ると、昨日の会話、今日の予定、昔の後悔、空腹、痛み、次々と浮かんできます。「私は瞑想に向いていないのかもしれない」と思う方も多いでしょう。

ここで覚えておいていただきたいのは、雑念は消すものではなく、流すものだということです。雑念が浮かぶのは、心が正常に働いている証拠です。心は考えるためにあるのですから、座れば考えが浮かぶのは当然です。問題は浮かぶことではなく、浮かんだ考えを追いかけて、気づいたら数分間その考えの中に住んでしまうことです。

流すとは、浮かんだ考えに気づいたら、それを良いとも悪いとも評価せず、川を流れていく葉を見送るように手放し、呼吸に戻ることです。考えを押さえつけようとすると、押さえつける力がかえって考えを強くします。「消そう」と思った瞬間に、「消そうと思っている」という新しい雑念が生まれます。ですから、消そうとしない。気づいたら、戻る。それだけです。

一回の瞑想で何十回戻っても構いません。戻った回数は、失敗の回数ではなく、練習の回数です。雑念については 瞑想中に雑念が消えないとき で、さらに詳しく述べます。

雑念とは別に、眠気がやってくることもあります。眠気が来たら目を開けて続けます。仰向けで瞑想している場合は、そのまま眠ってしまって構いません。それは体が休息を必要としていたということです。瞑想すると眠くなる原因と対処 も参考にしてください。

手順7 静かに終える — 急に立ち上がらない

タイマーが鳴ったら、すぐに立ち上がらず、終わりの手順を踏みます。終わり方を雑にすると、瞑想で整った状態が、立ち上がった瞬間に散ってしまいます。

  1. 数えるのをやめ、呼吸を自然に戻す
  2. 目を閉じていた人は、ゆっくり目を開ける
  3. 手を軽く握ったり開いたりして、指先に感覚を戻す
  4. 体を左右に小さく揺らし、徐々に揺れを大きくする
  5. 肩と首を回し、深く一つ息を吐く
  6. ゆっくり立ち上がる

坐禅では、終わりに体を揺らすことを「左右揺振(さゆうようしん)」と呼びます。座る前は大きな揺れから小さな揺れへ、終わりは小さな揺れから大きな揺れへ。この対称が、瞑想の始まりと終わりの区切りになります。

終えたあと、できれば一分ほど、その場で何もせずに座っていてください。瞑想の間に感じたことを振り返る必要はありません。ただ、整った状態のまま、日常に戻る前の余白を取るのです。

もし、瞑想の途中や終わったあとに涙が出てきたら、拭いても拭かなくても構いません。感情が溢れることは、珍しいことではありません。瞑想中に涙が出る・感情が溢れる をご覧ください。

今日できる10分の型

ここまでの七つを、今日このあと実際にできる形にまとめます。必要なのは、座る場所と、タイマーだけです。

準備(1分)
椅子か座布団に座る。椅子なら浅く腰かけ、両足の裏を床につける。床なら半跏坐か、楽に組めるあぐらでよい。お尻の下に折りたたんだ座布団を敷いて骨盤を立てる。タイマーを10分にセットする。

姿勢(1分)
背骨を上に伸ばし、あごを軽く引き、肩の力を抜く。手は膝の上。体を左右に二、三度揺らし、中心で止める。目は半眼で1メートル先の床を見る。眠くなければ閉じてもよい。

呼吸を数える(7分)
吐く息で「ひとつ」から「とお」まで数え、また「ひとつ」に戻る。数が分からなくなったら「ひとつ」から。雑念が浮かんだら、気づいて、呼吸に戻る。何度戻ってもよい。

終わり(1分)
タイマーが鳴ったら、数えるのをやめ、ゆっくり目を開け、手を動かし、体を小さく揺らしてから大きく揺らし、深く一つ息を吐いて立ち上がる。

これだけです。この10分を、明日も同じ時刻に、同じ場所でくり返してください。一週間続いたら、瞑想の始め方 — 初日にやること で初日の心構えを読み直し、気になるところを深めてください。

続けるために — 採点しない、場所と時刻を固定する

瞑想は、一回の出来より、続くことのほうがはるかに大事です。続けるためのコツは二つあります。

一つは、採点しないことです。「今日は集中できた」「今日は雑念だらけだった」と毎回評価していると、雑念の多い日に座るのが嫌になります。瞑想の質は日によって違って当たり前で、雑念だらけの日に座った10分も、集中できた日の10分と同じ価値があります。座ったかどうかだけを記録し、出来は記録しない。これが長続きの秘訣です。

もう一つは、場所と時刻を固定することです。「時間が空いたら座ろう」と思っていると、時間は空きません。歯みがきと同じように、生活の決まった位置に置いてしまうのです。続け方については 瞑想を習慣にする方法 と 瞑想が続かない理由 で詳しく扱います。

もう一つ、やりすぎにも注意が必要です。瞑想を長時間、集中的に行うと、人によっては不安や恐怖が強くなったり、現実感が薄れたりすることがあります。仏教ではこうした状態を魔境(まきょう)や禅病(ぜんびょう)と呼んできましたが、現代の言葉で言えば、脳が及ぼす反応です。そうした感覚が出てきたら、瞑想の時間を減らすか、いったん中止してください。症状が強い場合は、心療内科などの医療機関に相談してください。詳しくは 瞑想の危険性 — 魔境・禅病とは何か と 瞑想のやりすぎ — 過度な瞑想の弊害 をご覧ください。

よくある誤解 — 「無になる」「正しい形がある」「効果を感じなければ失敗」

瞑想のやり方について、よく見かける誤解を三つ挙げます。

第一に、「瞑想は無になること」という誤解です。何も考えない状態を目指して座ると、考えが浮かぶたびに失敗した気持ちになります。瞑想は、考えが浮かぶことを止める練習ではなく、浮かんだ考えに気づいて戻る練習です。無になるのではなく、戻る回数を重ねるのです。

第二に、「正しい形が一つある」という誤解です。結跏趺坐でなければならない、目は半眼でなければならない、手は法界定印でなければならない、と思い込むと、形を作ることに気を取られて肝心の呼吸がおろそかになります。形は、長く楽に座るための工夫であって、目的ではありません。

第三に、「効果を感じなければ失敗」という誤解です。瞑想を始めてすぐに、目に見える変化が起きることはあまりありません。変化は、気づかないうちに、日常の反応の仕方に現れます。怒りが湧いたときに一呼吸置けるようになっている、眠る前の頭が少し静かになっている、そうした小さな変化を、あとから振り返って気づくものです。瞑想の効果を感じないのはなぜか も参考にしてください。

仏教の瞑想から見た「やり方」 — 止から観へ、そして日常へ

ここまで述べた七つの手順は、どの伝統にも通じる形で書きましたが、ここでは一つの視点として、仏教の瞑想がこの手順をどう位置づけてきたかを添えておきます。

仏教では、修行の全体を戒(かい)・定(じょう)・慧(え)の三つに分けます。戒は生活を整えること、定は心を一つに留めること、慧はものごとをありのままに見る智慧です。このページで述べた瞑想のやり方は、主に「定」の入口にあたります。数息観で心を一つに留める練習は「止(サマタ)」と呼ばれ、心が静まったところで、浮かんでは消える思いや感覚をありのままに観る「観(ヴィパッサナー)」へと進みます。止と観は別々の瞑想ではなく、一つの道の前半と後半です。

密教の観法では、もう一つの視点が加わります。真言密教では、体(身)・言葉(口)・心(意)の三つを一度に整えることを三密(さんみつ)と呼びます。姿勢を整え、呼吸を数え、心を一つに留める。このページの手順は、まさに身・口・意の三つを同時に扱っています。密教の瞑想では、さらに月や文字といった具体的な対象を心に観じていきますが、その土台にあるのは、ここで述べた姿勢と呼吸と集中です。土台のない観想は、ただの空想になってしまいます。仏教の瞑想の全体は 仏教の瞑想 — 止観・禅・密教の違い、密教の瞑想は 密教の瞑想 — 阿字観を中心に で扱います。

そして、仏教の瞑想が最終的に目指すのは、座っている間だけ静かになることではありません。立ち上がって、台所に立ち、人と話し、仕事をしているときに、心の軸が立っていること。座るのは、そのための練習です。

康照から、ひとこと

瞑想のやり方を調べている方は、たぶん「正しくやりたい」と思っておられるのだと思います。
その気持ちは、とても大切です。
でも、私は、正しさより先に、座ってしまうことをおすすめしたいのです。
やり方が合っているかどうかは、座ってみなければ分かりません。
十分な知識を揃えてから始めようとすると、始める日が来ないことが多いのではないでしょうか。
私自身、毎日座っていますが、今日の瞑想が正しかったかどうかは、いまだに分かりません。
分からないまま、明日もまた座ります。
瞑想は、上手にやるものではありません。むしろ、下手なまま続けるものだと思っています。
下手なまま続けているうちに、いつの間にか、日常のほうが少し変わっている。
そのくらいの変化で、十分なのではないでしょうか。

よくある質問

瞑想は一人で始めても大丈夫ですか。指導者が必要ですか。

このページの10分の型であれば、一人で始めて問題ありません。姿勢と呼吸と雑念の扱いだけを守れば、危険はほとんどありません。ただし、一日に何時間も座るような集中的な実践や、観想を伴う密教の瞑想は、師について学ぶのが本来の形です。まずは一人で10分を続け、深めたくなったときに指導を受ける場所を探すのが、無理のない順序です。

食事の前と後、どちらに瞑想すればよいですか。

満腹のときは眠くなりやすく、空腹すぎると空腹が雑念になります。食後なら1時間ほど空けてからが落ち着きます。朝であれば、起きて水を一杯飲んでから、朝食の前に座るのが取り組みやすいでしょう。

横になって瞑想してもよいですか。

できます。腰や膝の事情で座れない方、就寝前に行う方は、仰向けで構いません。ただし眠りやすいので、眠ってはいけない時間帯には向きません。仰向けで行っていて眠ってしまった場合は、そのまま眠って構いません。寝ながら瞑想はできるか で詳しく述べます。

歩きながらの瞑想もありますか。

あります。歩く瞑想(経行、きんひん)は、坐禅の合間に行われてきた伝統的な方法で、座るのがつらい方や、じっとしていると落ち着かない方に向いています。一歩一歩の足裏の感覚に意識を置いて、ゆっくり歩きます。歩く瞑想のやり方 をご覧ください。

瞑想アプリを使ってもよいですか。

使って構いません。タイマーや誘導の声は、始めたばかりの方の助けになります。ただ、アプリの声に導かれる誘導瞑想と、自分で呼吸を数える瞑想は、少し性格が違います。慣れてきたら、誘導なしで座る時間も作ってみてください。瞑想アプリは使うべきか も参考にしてください。

関連するページ