瞑想中に涙が出る・感情が溢れるとき — 拭いても拭かなくてもいい

つまずき・悩み

瞑想中に涙が出たり、感情が溢れたりするのは、異常なことではありません。静かになって、普段は見ずに済ませていたものが見えてきただけです。
涙は、拭いてもいいし、拭かなくてもいい。どちらでも構いません。
感情は、追いかけず、押し戻さず、来たものが過ぎていくのを見ていてください。それが、瞑想の中での扱い方です。

なぜ瞑想中に涙が出るのか

座って、息を数えて、何も特別なことはしていないのに、ふと涙が出てくる。理由の分からない悲しさが込み上げる。あるいは、忘れていたはずの出来事が浮かんで、怒りや寂しさが溢れる。瞑想を始めてしばらくすると、こうした経験をする方は少なくありません。「私はどこかおかしいのだろうか」と不安になる方もいます。

これは、瞑想が何かを引き起こしたというより、普段の生活の中で見ないで済ませていたものが、静かになったことで見えるようになった、ということだと思います。

私たちは日常、忙しさや会話や画面の光で、心の動きを覆っています。悲しみも疲れも、覆いの下に置いたまま一日を終える。座って静かになると、その覆いが外れます。すると、下にあったものが、そのまま出てきます。涙は、その出方の一つです。

ですから、瞑想中の涙は、瞑想がうまくいっていない印ではなく、むしろ心が静まったときに起きることの一つです。心配する必要はありません。

涙は、拭いてもいいし、拭かなくてもいい

涙が出たとき、「拭いていいのか」「動いたら瞑想が途切れるのではないか」と迷う方がいます。私は、拭いてもいいし、拭かなくてもいい、と伝えています。

拭きたければ、静かに手を上げて拭いてください。それで瞑想が壊れることはありません。拭かずに流れるままにしておきたければ、そのままで構いません。頬を伝う感覚を、ただ感じていればよい。どちらが正しいということはなく、その日の自分が楽なほうを選べばよいのです。

大事なのは、涙をどうするかではなく、涙の後ろにある感情をどう扱うか、です。それを次に書きます。

感情が溢れたときの扱い方

瞑想中に感情が溢れたときの扱いは、雑念の扱いと基本は同じです。追いかけず、押し戻さず、流す。

  1. 感情が湧いてきたことに気づきます。「悲しい」「腹が立つ」「寂しい」と、一言だけ心の中で名前をつけてもよいでしょう。
  2. その感情の原因を探ったり、物語を組み立てたりしません。「なぜ悲しいのか」「あのとき誰が悪かったのか」と考え始めると、それは瞑想ではなく考えごとの時間になります。
  3. 感情を押し戻そうともしません。「こんなことで泣くな」「落ち着け」と抑えると、かえって強くなります。
  4. 体のどこに感情があるかを感じます。胸が詰まっている、喉が締まっている、目が熱い。感情を「体の感覚」として眺めると、物語から離れやすくなります。
  5. 息に戻ります。感情はそのまま置いておいて、息を数える作業に戻る。感情が消えるのを待つ必要はありません。感情を抱えたまま、息に戻ります。

感情は、追いかけなければ、やがて形を変えていきます。強かったものが弱まり、別のものに置き換わり、いつの間にか過ぎている。その移り変わりを見ていることが、瞑想の中での感情との付き合い方です。雑念の扱いについては瞑想中に雑念が消えないときに書きました。

何度も同じ感情が出てくるとき

一度流しても、座るたびに同じ悲しみや怒りが出てくる、ということがあります。大切な人を亡くした後、人間関係で深く傷ついた後、長く抑えてきたものがある場合に多いようです。

この場合も、基本は変わりません。出てくるたびに、気づいて、名前をつけて、体の感覚として眺めて、息に戻る。同じ感情が何度出てきても、それは「処理が終わっていないものが、少しずつ出てきている」ということで、失敗ではありません。

ただ、瞑想の中で処理しきろうとはしないでください。瞑想は、感情を解決する場ではなく、感情が来て過ぎていくのを見る場です。解決が必要なことは、瞑想の外で、人と話す、書く、専門家に相談する、といった方法で扱ってください。喪失の後の瞑想については大切な人を亡くした後の瞑想に書いています。

無理をしない線引き

涙や感情が出ること自体は自然なことですが、次のような場合は、別の扱いが必要です。

  • 感情が溢れて、息に戻ることがまったくできない。
  • 瞑想のたびに、つらい記憶が映像のように押し寄せて、座ること自体が怖くなる。
  • 瞑想を終えた後も、動揺が長く続き、日常に支障が出る。
  • 過去の大きな出来事に関わる感情が、瞑想中に繰り返し強く出る。

こうした場合は、無理に座り続けないでください。目を開け、時間を短くし、歩く瞑想に替える、あるいはしばらく瞑想を休む。それでも強い状態が続くなら、心療内科やカウンセラーなど専門家に相談してください。瞑想は万能ではなく、専門家の助けが必要な領域があります。詳しくは瞑想で不安や恐怖が強くなるときに書きました。

「涙が出る」と「感情に飲まれて戻れない」は、別のことです。前者は瞑想の自然な一部で、後者は立ち止まる合図です。この違いを自分で見分けられるようにしておいてください。

仏教から見た感情と涙

仏教は、感情を否定する教えだと思われることがありますが、そうではありません。感情が湧くことを止めるのではなく、感情に「掴まれる」ことから自由になる、というのが仏教の方向です。悲しみが湧くのは自然なことで、問題は、その悲しみを握りしめて離さなくなることです。

無常(むじょう・すべては移り変わる)という見方は、感情にもそのまま当てはまります。どんなに強い悲しみも、そのままの強さで永遠に続くことはない。瞑想中に感情が湧き、変わり、過ぎていくのを見ることは、無常を頭ではなく体で知ることです。涙が流れて、やがて止まる。それ自体が、一つの教えだと思います。

私は、葬儀や法要の場で多くのご家族と向き合ってきました。そこで見るのは、涙を堪えようとする方と、堪えきれずに流す方、その両方です。どちらが正しいということはありません。涙は、堪えるものでも、流すものでもなく、ただ出てくるものだと思っています。瞑想の中の涙も、同じではないでしょうか。

密教の見方では、感情もまた、整える対象であって、排除する対象ではありません。身・口・意の三密(さんみつ)のうち「意(こころ)」を整えるとは、心を空っぽにすることではなく、動く心をそのまま引き受けて、向きを定めることです。涙を流しながら息に戻る。それは、心を整えようとしている姿そのものです。

康照から、ひとこと

私は、瞑想中に涙が出た人に、「それでいいです」と言うことにしています。
拭きたければ拭いて、拭きたくなければそのままで。
涙は、瞑想の邪魔ではありません。
むしろ、静かになったからこそ出てきた、本当のもののような気がします。
普段は、忙しさで覆っているものが、覆いを外したときに見える。
それを見て、追いかけず、押し戻さず、息に戻る。
それができれば、その日の瞑想は、十分に深いのではないでしょうか。
泣いてよい場所が、一つくらいあってもよいと思っています。

よくある質問

理由もなく涙が出ます。おかしいでしょうか

おかしくありません。理由が分からないのは、覆いの下にあったものが、言葉になる前の形で出てきているからだと思います。原因を探る必要はありません。涙に気づいて、息に戻ってください。

涙が出たら、瞑想をやめたほうがいいですか

涙が出るだけなら、続けて構いません。息に戻れるなら、瞑想は続いています。息にまったく戻れず、感情に飲まれて動揺が収まらない場合は、目を開け、時間を短くし、その日は終えてください。

瞑想中に怒りが湧いてきて、収まりません

怒りも涙と同じく、追いかけず、押し戻さず、体の感覚として眺めてください。怒りは胸や喉、拳などに現れることが多いものです。「怒っている」と名前をつけて、息に戻ります。怒りそのものとの付き合い方は怒り・イライラと瞑想に書きました。

感情が出るのは、瞑想が深まっている証拠ですか

深まっている証拠とも、浅い証拠とも言えません。心が静まったときに起きることの一つで、瞑想の優劣とは関係ありません。感情が出た日も出ない日も、気づいて息に戻れていれば、同じように瞑想は成り立っています。

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