瞑想には、まれに不調を招く面があります。魔境(まきょう)や禅病(ぜんびょう)と呼ばれてきた状態です。
これらは神秘的な現象ではなく、脳が及ぼす反応です。過度な瞑想が引き金になることが多く、やめれば収まることがほとんどです。
酷い場合は、心療内科等を受診してください。瞑想は医療の代わりではありません。
瞑想に危険はあるのか
瞑想は、ほとんどの人にとって安全な実践です。ただ、「まったく危険がない」とは言えません。長時間や高強度の瞑想を続けた人の一部に、幻覚、強い高揚、不安や恐怖の増大、現実感の喪失、離人感(自分が自分でないように感じること)などが起きることが、古くから知られています。
仏教ではこれを魔境、禅病と呼んで、修行の妨げとして扱ってきました。千年以上前の修行者も、同じ問題に直面していたということです。現代の研究でも、瞑想に伴う好ましくない体験についての報告が蓄積されつつあります。
このページでは、魔境・禅病とは何か、なぜ起きるのか、どう対処するか、そして何より、どうすれば避けられるかを書きます。怖がらせるためではなく、安全に続けるためです。
魔境とは何か
魔境とは、瞑想中や瞑想の後に現れる、通常とは異なる知覚や心の状態のことです。禅の伝統で使われてきた言葉で、具体的には次のような体験を指します。
- 光や色、形が見える。仏や神のような像が現れる。
- 音や声が聞こえる。
- 体が浮く、大きくなる、消えるように感じる。
- 強い歓喜や高揚に包まれ、「悟った」「特別な存在になった」と感じる。
- 逆に、強い恐怖や不安、絶望感に襲われる。
魔境という名は、これらを「魔が見せる幻」として警戒した伝統から来ています。禅では、こうした体験が起きても相手にせず、ただ座り続けよ、と教えてきました。体験そのものより、体験に執着し、「自分は特別だ」と思い込むことが、本当の妨げだからです。
私は、魔境を神秘的なものとは捉えていません。これは脳が及ぼす反応です。長時間、感覚の入力を絞り、一点に注意を向け続けると、脳は通常とは異なる働き方をします。そのときに生じる知覚や感情の変化が、魔境と呼ばれてきたものです。特別な意味はなく、起きたからといって進んだわけでも、間違ったわけでもありません。
禅病とは何か
禅病とは、瞑想のやりすぎによって生じる心身の不調のことです。魔境が一時的な知覚の変化を指すのに対し、禅病はもう少し持続する不調を指します。
伝えられている症状には、のぼせ、頭痛、動悸、不眠、食欲不振、気力の低下、強い不安、神経の過敏などがあります。江戸時代の禅僧・白隠(はくいん)が、若いころに厳しい修行で禅病にかかり、治し方を『夜船閑話(やせんかんな)』に記したことがよく知られています。白隠が示した対処は、頭に上った気を下に降ろす観想法でしたが、要するに「頭ばかりを使う修行をやめ、体を落ち着かせる」ことでした。
禅病も、魔境と同じく、脳と体が及ぼす反応です。過度な集中を長期間続けると、自律神経の働きが乱れ、さまざまな不調が現れます。特別な病ではありませんが、放置すれば日常生活に支障が出ます。
なぜ起きるのか — 脳が及ぼす反応
魔境や禅病が起きる仕組みを、神秘化せずに書きます。
瞑想は、感覚への入力を減らし、注意を一点に向け続ける行為です。これを適度に行えば、心が静まり、体がゆるみます。しかし、度を超すと、脳は刺激の少ない環境に対して、自ら刺激を作り出すことがあります。暗い部屋に長くいると光が見えるように、静かな環境に長くいると、内側から知覚が生じる。これが幻覚や幻聴の正体の一つです。
また、集中を続けると、脳の覚醒の度合いが上がり、興奮状態が続くことがあります。強い高揚や歓喜は、この興奮の現れです。逆に、長時間の内省で、普段は抑えている不安や記憶が表に出てきて、恐怖や絶望感として体験されることもあります。
いずれも、「脳が及ぼす反応」として理解できます。特別な霊的現象ではなく、超えてはならない線を超えたときに体が出す信号です。
対処 — 過度な瞑想はやめる
魔境や禅病の兆しが出たときの対処は、はっきりしています。過度な瞑想はやめることです。
具体的には、次の通りです。
- 瞑想の時間を減らすか、一時的に中断します。「せっかくここまで来たのに」と思っても、やめてください。
- 目を開け、体を動かし、日常の活動に戻ります。散歩、掃除、人と話すこと。体と外の世界に注意を戻します。
- 睡眠と食事を整えます。禅病の多くは、心身の疲労が土台にあります。
- 特別な体験に意味づけをしません。「悟った」「見えた」「選ばれた」という解釈は、手放してください。
- 一人で抱えず、信頼できる指導者や、瞑想に理解のある人に話します。
そして、酷い場合は心療内科等を受診してください。日常生活に支障が出ている、不安や恐怖が収まらない、眠れない日が続く、現実感がない状態が続く、といった場合は、瞑想の工夫でどうにかしようとせず、医療に相談してください。瞑想は医療の代わりにはなりません。
避けるには — 安全に続けるための目安
魔境や禅病を避けるのは、難しいことではありません。ほとんどの場合、過度な瞑想が引き金です。ですから、過度にしなければよい。
- 時間を守る。日常生活のなかで行う瞑想は、10〜30分、長くても60分程度で十分です。何時間も座り続ける必要はありません。私自身も、長い日で60分です。
- 急に増やさない。数日で時間を何倍にも延ばすと、心身がついてきません。
- 合宿型の長時間瞑想は、経験と指導者のもとで。初心者が一人で長時間の瞑想を続けることは勧めません。
- 眠らない、食べない、といった極端な条件を加えない。
- 体験を追わない。「光が見えたい」「深い境地に入りたい」という目標が、過度な瞑想を招きます。
- 心の不調を抱えているときは、瞑想を自己治療の手段にしない。医療と並行し、医療者に相談のうえで行う。
もともと不安や抑うつの傾向が強い方、過去に心の病を経験した方、つらい体験の記憶がある方は、瞑想で不調が出る場合があります。瞑想を禁じるわけではありませんが、一人で長時間行うことは避け、不安が強まったときの扱い(瞑想で不安や恐怖が強くなるとき)を知っておいてください。
仏教はどう扱ってきたか
魔境や禅病は、仏教の瞑想の歴史のなかで、繰り返し扱われてきました。
禅では、魔境が現れても「相手にするな」と教えます。良い体験も悪い体験も、ただ通り過ぎさせる。執着しないことが唯一の対処です。白隠は禅病を自ら経験したうえで、体を鎮める方法を後世に残しました。
密教の修行の考え方も、一つの視点として添えます。真言宗の修行は、身(からだ)・口(ことば)・意(こころ)の三つを同時に整える三密(さんみつ)を土台にしています。心だけを極端に使う行は、密教の本来の形ではありません。体で印を結び、口で真言を唱える。体と言葉が心を支えることで、心だけが暴走する状態を防ぐ構造になっています。密教の修行が、師のもとで、決まった次第に沿って行われるのも、一人で極端に走ることを防ぐ知恵の一つだと私は理解しています。
千年以上の伝統は、瞑想の危険を知ったうえで、それを避ける形を作ってきました。現代の私たちも、その知恵を使えばよいのです。
康照から、ひとこと
私は、瞑想中の不思議な体験を、ありがたいものとは思っていません。
光が見えた、声が聞こえた、体が浮いた。
それは脳が及ぼした反応です。
進んだのでも、選ばれたのでもありません。むしろ、少しやりすぎたのかもしれない、という合図だと思っています。
やりすぎたら、やめてください。
やめて、散歩をして、よく眠ってください。
それでも苦しいなら、医療の力を借りてください。
瞑想は、人を特別にするためのものではないのではないでしょうか。
人生後半を、静かに整えるためのものだと、私は思っています。
よくある質問
毎日10分の瞑想でも魔境は起きますか
ほとんど起きません。魔境や禅病は、長時間・高強度の瞑想を続けた場合に起きることが多く、日常生活のなかでの10〜30分の瞑想で問題になることは、まれです。
瞑想中に光が見えました。これは良いことですか
良いことでも悪いことでもありません。脳が及ぼす反応の一つです。意味づけをせず、相手にせず、息に戻ってください。頻繁に起きるなら、時間を減らしてください。
瞑想で不安が強くなりました。やめるべきですか
いったん時間を減らすか中断し、目を開けて体を動かしてください。不安が収まらない、日常に支障が出る場合は、心療内科等に相談してください。詳しくは瞑想で不安や恐怖が強くなるときに書きました。
心の病の治療中ですが、瞑想してもいいですか
主治医に相談のうえで行ってください。瞑想が助けになる場合もありますが、治療の代わりにはなりません。自己判断で治療をやめて瞑想に置き換えることは、しないでください。
禅病は本当に病気ですか
伝統的な呼び名であって、現代の医学の病名ではありません。ただ、心身の不調として現れることは確かです。症状が続くなら、「禅病だから」と自己判断せず、医療機関で診てもらってください。
関連するページ
参考文献
- 白隠慧鶴『夜船閑話』(江戸時代。禅病とその対処を記した書)
- Goyal, M. et al. (2014). Meditation Programs for Psychological Stress and Well-being: A Systematic Review and Meta-analysis. JAMA Internal Medicine, 174(3), 357–368.
- Tang, Y.-Y., Hölzel, B. K., & Posner, M. I. (2015). The neuroscience of mindfulness meditation. Nature Reviews Neuroscience, 16(4), 213–225.


