瞑想の種類一覧 — 集中・観察・慈悲・動く・誘導、目的別に選ぶ

瞑想の基本

瞑想の種類は、大きく五つに分けると見通しがよくなります。心を一点に置く「集中型」、起きていることを観る「観察型」、慈しみを育てる「慈悲・感情型」、体を動かしながら行う「動く瞑想」、音声の案内に従う「誘導型」です。
どれが正しいということはなく、目的と性格によって向き不向きがあります。
このページでは各種類の特徴、向いている人、最初の一歩をまとめ、詳しいページへ案内します。

なぜ五つに分けるのか — 分類の考え方

瞑想の分類にはいくつかの方法があります。流派で分ける(仏教・ヨガ・禅・マインドフルネスなど)、目的で分ける(リラックス・集中・自己理解など)、姿勢で分ける(座る・歩く・横になる)といった分け方です。このページでは、「注意をどう使うか」という観点を軸に、そこに体の使い方と案内の有無を加えた五つの分類を採用しました。

この分け方を選んだ理由は、仏教の瞑想の基本構造である「止(し)」と「観(かん)」に対応しているからです。止は心を一つの対象にとどめる働きで、集中型の瞑想がこれにあたります。観は静めた心で現れるものをありのままに見る働きで、観察型の瞑想がこれにあたります。釈尊以来の仏教は、この二つを車の両輪として扱ってきました。詳しくは 止観とは をご覧ください。

慈悲型は、注意の向け方というより「どんな心を育てるか」で分かれる瞑想です。動く瞑想は、座る以外の体の使い方で止や観を行うものです。誘導型は、方法というより「指導者の声に導かれる形式」であり、中身は集中型にも観察型にもなります。この五つを知っておけば、世の中に無数にある瞑想法の名前に出会っても、「これはどの型に近いか」と位置づけて理解できるようになります。

なお、どの型にも共通する土台として、姿勢・呼吸・雑念との付き合い方があります。それらは 瞑想のやり方 完全ガイド にまとめてあるので、種類を選んだあとに併せて読んでください。

集中型 — 心を一点に置く瞑想

集中型は、呼吸・音・文字・光といった一つの対象に注意を置き、離れたら戻す、を繰り返す瞑想です。心が対象にとどまる時間が長くなるにつれ、雑念が減り、静けさと落ち着きが深まります。仏教でいう止(サマタ)に相当し、多くの伝統で瞑想の出発点とされてきました。

サマタ瞑想(止)

心を一つの対象に安定させる瞑想の総称です。対象は呼吸でも、ろうそくの炎でも、心に描いた一点でも構いません。上座部仏教の伝統では四十種の対象が挙げられていますが、現代では呼吸を対象にするのが一般的です。私自身の毎日の瞑想は、このサマタ(止)が中心です。

向いている人:心が散りやすく、まず落ち着きを得たい人。瞑想を始めたばかりで、何をすればよいか分かりやすい方法を求めている人。

最初の一歩:静かに座り、呼吸が出入りする鼻先か腹の感覚に注意を置きます。離れたことに気づいたら、責めずに戻します。5分から始めて構いません。詳しくは サマタ瞑想(止)とは へ。

数息観(すそくかん)

呼吸を一から十まで数え、十まで行ったら一に戻る方法です。サマタの中でも最も具体的で、禅でも天台でも初心者の入口として用いられてきました。数えるという作業が注意を呼吸につなぎとめる錨になるため、「呼吸を見ているつもりが考えごとをしていた」という失敗が減ります。私の道場では、瞑想はこの数息観から入ることを方針としています。

向いている人:「ただ呼吸を見る」では手がかりが足りず、すぐ雑念に流される人。はじめて瞑想をする人全般。

最初の一歩:吐く息で「一」、次の吐く息で「二」と数えます。数を忘れたら、迷わず「一」に戻します。十まで行ったら、また一から。手順は 瞑想の呼吸法 — 数息観から始める と 呼吸瞑想・数息観とは に書きました。

阿字観(あじかん)

真言宗に伝わる観法で、月輪(がちりん:満月の円)の中に梵字の「阿」の字を描いた図を前に置き、それを見つめ、やがて心の中に観ずる瞑想です。「阿」はサンスクリット語の最初の文字であり、密教では万物の根源を表すとされます。集中型でありながら、対象が「一切の根源としての阿」であるため、集中の深まりがそのまま仏の世界観に触れる構造を持っています。阿字観は伝授によって受け継がれる行法でもあるので、ここでは知識として紹介するにとどめます。

向いている人:仏教、とくに密教の世界観に関心があり、瞑想を単なる技法以上のものとして学びたい人。

最初の一歩:阿字観そのものは師について学ぶものですが、その前段として、月輪を心に描く月輪観(がちりんかん)の考え方に触れることはできます。 阿字観のやり方と意味 と 月輪観とは に、意味と背景を書いています。

超越瞑想(TM)

マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーが西洋に広めた方法で、個人に与えられたマントラ(意味を持たない音の言葉)を心の中で静かに繰り返します。一日二回、20分ずつが標準とされます。宗教的な信仰を求めず、方法が簡潔なため、世界中に広がりました。仏教の立場から見ると、真言を用いる集中型の瞑想と技法的な親戚関係にあります。

向いている人:方法が明確で、一人で続けやすい瞑想を求める人。宗教色のない瞑想を望む人。

最初の一歩:TMは認定された指導者から個別にマントラを受けて始める形式をとっています。その特徴と背景は 超越瞑想(TM)とは で整理しています。

観察型 — 起きていることをありのままに観る瞑想

観察型は、特定の対象に心を固定するのではなく、いま起きている感覚・思考・感情を判断せずに観る瞑想です。仏教でいう観(ヴィパッサナー)に相当します。集中型が「静めること」を目指すとすれば、観察型は「静まっていなくても、そのまま見ること」を目指します。心の仕組みを理解し、思考や感情に振り回されにくくなる方向を持っています。

ヴィパッサナー瞑想(観)

上座部仏教に伝わる瞑想で、体の感覚や心の動きを瞬間ごとに観察します。「膨らみ」「縮み」と腹の動きに名前をつける方法、体の感覚を順に走査する方法など、伝統によって具体的な手順は異なりますが、「生じては滅するものをありのままに観る」という核は共通しています。現代のマインドフルネスの直接の源流です。

向いている人:心の仕組みを深く理解したい人。集中型である程度心が落ち着いた人。思考や感情のパターンに気づきたい人。

最初の一歩:座って呼吸に注意を置き、思考が浮かんだら「考えている」と心の中で短く名づけて、また呼吸に戻ります。感覚が現れたら「痛み」「かゆみ」と名づけて観ます。 ヴィパッサナー瞑想とは に詳細があります。

マインドフルネス瞑想

ジョン・カバットジンが1979年に医療の場で体系化したMBSR(マインドフルネスストレス低減法)を起点に広まった瞑想です。ヴィパッサナーを中心に、坐禅やヨーガの要素を取り入れ、宗教的な言葉を外しています。「いまこの瞬間に、判断せずに注意を向ける」という態度を育てる練習で、呼吸瞑想、ボディスキャン、歩く瞑想、食べる瞑想など複数の技法を含みます。

向いている人:宗教色のない、研究の蓄積がある方法を求める人。看護・介護・心理の現場で、利用者や患者にも勧められる方法を学びたい人。

最初の一歩:呼吸に注意を向け、離れたら戻す、という基本は集中型と同じです。違いは「戻すこと」そのものよりも「離れていたことに気づく瞬間」を大切にする点です。 マインドフルネス瞑想とは — 仏教との関係 と 瞑想とマインドフルネスの違い で、仏教との関係を含めて解説しています。

ボディスキャン瞑想

横になるか座った状態で、足先から頭頂まで、体の各部位に順に注意を向けていく瞑想です。MBSRの中心的な技法の一つで、体の感覚を「よい・悪い」と判断せずにただ感じ取ります。体の緊張に気づきやすくなり、眠る前の実践としても用いられます。

向いている人:体の緊張や痛みを抱えている人。座る瞑想が体力的につらい人。思考が多くて呼吸に集中しにくい人。

最初の一歩:仰向けに横になり、左足の指先に注意を向けます。感覚があってもなくても、そのまま感じ取り、次の部位へ移ります。眠ってしまったら、それはそれで構いません。 ボディスキャン瞑想 と 寝ながら瞑想はできるか を参照してください。

慈悲・感情型 — 心の質を育てる瞑想

集中型と観察型が「注意の使い方」を鍛えるのに対し、慈悲・感情型は「どんな心を育てるか」に焦点を置く瞑想です。仏教では慈(いつくしみ)・悲(あわれみ)・喜(よろこび)・捨(平静)の四つの心を「四無量心(しむりょうしん)」と呼び、瞑想によって育てる対象としてきました。

慈悲の瞑想(メッタ)

「私が幸せでありますように」「あの人が幸せでありますように」と、自分から身近な人、やがて苦手な人、すべての生きものへと、幸せを願う言葉を順に心の中で唱えていく瞑想です。パーリ語のメッタ(慈しみ)から、メッタ瞑想とも呼ばれます。自己批判が強い人、人間関係の疲れを抱えている人が、心のこわばりをほどく助けとして用いてきた瞑想です。

向いている人:自分に厳しすぎる人。怒りや恨みを手放したい人。介護や看護で人に向き合い続け、心がすり減っている人。

最初の一歩:座って呼吸を整え、まず自分自身に「私が安らかでありますように」と三回、心の中で唱えます。次に、大切な人を思い浮かべて同じ言葉を向けます。無理に感情を起こそうとせず、言葉を置くだけで十分です。 慈悲の瞑想(メッタ)とは に手順と背景をまとめました。

感謝・内省の瞑想

一日の終わりに、その日あった出来事を振り返り、感謝できることを一つずつ心に置いていく実践も、感情型の瞑想に含められます。仏教の伝統では、自分の行いを省みる「懺悔(さんげ)」や、恩を思う実践がこれにあたります。技法というより習慣に近いもので、日記と組み合わせる人もいます。

向いている人:瞑想の時間を取りにくいが、一日の締めくくりに心を整えたい人。

最初の一歩:寝る前に、座っても横になっても構いません。「今日、ありがたかったこと」を三つ、ゆっくり思い浮かべます。それだけで一つの瞑想になります。

動く瞑想 — 体を使いながら行う瞑想

瞑想は座って行うものという印象が強いですが、仏教の伝統には、歩きながら、書きながら、掃除をしながら行う瞑想が古くからあります。座る瞑想が難しい人、体を動かすほうが心が落ち着く人にとって、動く瞑想は本道の一つです。

歩く瞑想(経行)

禅の道場で坐禅の合間に行われる経行(きんひん)や、上座部の歩行瞑想がこれにあたります。ゆっくり歩きながら、足の裏が地面に触れる感覚、重心が移る感覚に注意を置きます。「右足が上がる、運ぶ、下りる」と心の中で名づける方法もあります。

向いている人:座っていると眠くなる人。じっとしていられない人。足腰が痛くて長く座れない人。通勤や散歩の時間を使いたい人。

最初の一歩:家の中の数メートルを、いつもの三分の一ほどの速さで往復します。足の裏の感覚だけを追います。5分で十分です。 歩く瞑想のやり方 に詳しく書いています。

写経・読経

経文を一字ずつ書き写す写経、声に出して経を読む読経は、集中型の要素を持つ動く瞑想です。筆先と文字に注意を置き続けるうちに、雑念が自然に静まります。般若心経は262文字と短く、写経の定番として広く親しまれています。読経では、声と呼吸が一体になることで、心が整っていきます。真言宗では、真言を繰り返し唱えること自体が三密の実践であり、瞑想と祈りが一つになっています。

向いている人:手を動かすほうが集中しやすい人。仏教的な文脈を感じながら実践したい人。座る瞑想に「何をしていいか分からない」と感じる人。

最初の一歩:般若心経の写経用紙を一枚用意し、一字ずつゆっくり書きます。一度に全部書かなくても構いません。 動く瞑想(写経・読経・掃除・作務) と 般若心経と瞑想、 真言と瞑想 を参照してください。

作務(さむ)・掃除

禅寺では、掃除や炊事などの労働を作務と呼び、坐禅と同じ修行の一部とみなします。一つ一つの動作に注意を置き、結果ではなく動作そのものに心を向ける点で、立派な瞑想です。家庭での掃除や料理も、やり方次第で作務になります。

向いている人:忙しくて瞑想の時間が取れない人。日常生活そのものを整えたい人。

最初の一歩:食器を洗うとき、水の温度、手に触れる皿の感触だけに注意を置いてみます。考えごとに気づいたら、また手の感覚に戻します。

ヨガ・太極拳など

ヨガのアーサナ(姿勢)や太極拳のような動きも、呼吸と動作を一致させる点で動く瞑想の性格を持ちます。ヨガの瞑想と仏教の瞑想の関係は ヨガの瞑想と仏教の瞑想 と 瞑想とヨガの違い で扱っています。

誘導型 — 声に導かれる瞑想

誘導型は、指導者の声や録音の案内に従って行う瞑想の形式です。「息を吸って、ゆっくり吐いて」「体の力を抜いて」「静かな場所を思い浮かべて」といった言葉に導かれるため、何をすればよいか迷わずにすみます。瞑想アプリの多くはこの形式です。

技法としての中身は、呼吸に注意を向ける集中型のこともあれば、体を順に観るボディスキャンのこともあり、情景を思い浮かべるイメージ型のこともあります。つまり誘導型は「方法」というより「形式」であり、自転車の補助輪に近いものです。

向いている人:瞑想を始めたばかりで一人では不安な人。沈黙が苦手な人。眠る前に使いたい人。

最初の一歩:短い誘導音声を一つ選び、一週間同じものを続けてみます。慣れてきたら、音声なしで同じ手順を自分でなぞってみると、自立した瞑想へ移行できます。 誘導瞑想とは と 瞑想アプリは使うべきか に、使い方と注意点を書きました。

誘導型には一つ気をつけたい点があります。声に導かれる心地よさは、瞑想そのものの深まりとは別物だということです。心地よさを求めるだけなら音楽でも足ります。誘導をきっかけに、やがて自分の呼吸と自分の心だけで座れるようになることが、瞑想の自立です。また、ヒーリングや自己催眠と誘導瞑想は似て見えますが、目指すところが異なります。 瞑想と自己催眠・ヒーリングの違い で線を引いています。

仏教の瞑想から見た補足 — 三密という視点

ここまで五つの型で整理してきましたが、仏教の瞑想の伝統のうち、密教の観法が持つ見方を、数ある視点の一つとして添えておきます。密教では、瞑想を「心だけの営み」と見ません。身(からだ)・口(ことば)・意(こころ)の三密(さんみつ)を同時に働かせることを実践の核とします。手に印を結び、口に真言を唱え、心に仏を観ずる。この三つが一つになったとき、瞑想は心の中の出来事を超え、体全体で仏の働きに参加する行為になります。

この視点から五つの型を眺め直すと、集中型と観察型は主に「意」の働き、写経や読経は「身」と「口」の働き、慈悲の瞑想は「意」の質を整える働き、と見ることができます。密教の瞑想は、これらを別々の種類と見るのではなく、一つの実践の中で統合しようとする試みです。「どの種類を選ぶか」という問いの先に、「体と言葉と心を一つに整える」という問いがある。それが密教の観法から見た瞑想の全体像であり、他の伝統の見方と並べて眺めるための一つの視点です。 三密とは と 密教の瞑想 — 阿字観を中心に で、この考え方を詳しく述べています。

自分に合った瞑想の選び方 — 目的と性格から

最後に、五つの型をどう選ぶかの目安をまとめます。

目的から選ぶなら、まず落ち着きたい・集中力を取り戻したい人は集中型(数息観)から。考えごとや感情に振り回されやすく、その仕組みを知りたい人は観察型(マインドフルネス・ヴィパッサナー)へ。自分や人に対する厳しさをほどきたい人は慈悲の瞑想を。体を動かすほうが性に合う人、座ると眠くなる人は動く瞑想(歩く・写経)を。一人では不安な人は誘導型から。

性格から選ぶなら、手がかりがはっきりしている方が安心する人は数息観や写経のように「やることが決まっている」方法が向きます。自由度が高い方が続く人は、観察型や歩く瞑想が向きます。

ただし、どれか一つに決めなければならないわけではありません。私自身、毎日の瞑想は数息観を中心としたサマタ(止)が多いですが、日によって、季節によって、心の状態によって、座り方は変わります。はじめは一つに絞って一か月続け、慣れてきたら別の型を試す。そういう付き合い方で十分です。続け方に迷ったら 瞑想を習慣にする方法 と 瞑想が続かない理由 を参照してください。

康照から、ひとこと

瞑想の種類を一覧にすると、まるで品物を選ぶ売り場のように見えてしまいます。
でも、私の実感は少し違います。

どの瞑想も、入口が違うだけで、
向かっている先は似ているのではないでしょうか。

息を数えても、歩いても、字を書いても、
たどり着くのは「いま、ここに、自分がいる」という静かな事実です。

私は数息観が多いですが、それが一番優れているからではありません。
たまたま、私の体と性分に合っていただけです。

「どれを選べばいいか分からない」と迷っている方へ。
迷うことは悪いことではないと思っています。
むしろ、迷いながら一つを試し、合わなければ別を試す、
その往復そのものが、すでに瞑想の入口に立っていることなのかもしれません。

よくある質問

初心者にはどの種類の瞑想がよいですか

数息観(息を数える瞑想)をお勧めします。やることが明確で、雑念に流されても「一に戻る」という手がかりがあるからです。私の道場でも数息観から入ることを方針としています。一人で座るのが不安なら、誘導型の音声を補助輪として使うのもよい入口です。 瞑想の始め方 — 初日にやること に初日の手順を書きました。

瞑想の種類を途中で変えてもよいですか

構いません。ただし、一つの型をある程度続けないと、その型の良さも難しさも分かりません。目安として一か月は一つの方法を続け、それから別の方法を試すことを勧めます。あれこれ変えすぎると、どれも身につかないまま「瞑想は自分に合わない」と感じてしまいがちです。

集中型と観察型はどちらが先ですか

仏教の伝統では、止(集中)を先に、観(観察)を後に置くのが基本です。心がある程度落ち着いてから観察に入るほうが、見えるものが安定するからです。ただし現代のマインドフルネスは最初から観察を中心に教えることも多く、どちらが唯一の正解ということはありません。 止観とは で両者の関係を説明しています。

寝ながらできる瞑想はありますか

あります。ボディスキャンは仰向けで行うのが標準ですし、慈悲の瞑想や感謝の瞑想も横になって行えます。仰向けで瞑想をしていて眠ってしまった場合は、そのまま寝てしまって構いません。 寝ながら瞑想はできるか と 瞑想すると眠くなる原因と対処 を参照してください。

阿字観は誰でもできますか

阿字観は真言宗で伝授によって受け継がれてきた行法で、本来は師について学ぶものです。知識として意味や背景を知ることは誰にでもできますし、このサイトでも解説していますが、行法そのものの次第については伝授に属する部分があるため、ここでは詳しく書きません。 阿字観のやり方と意味 で、公開できる範囲で説明しています。

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