瞑想の手の形(印)の意味と組み方 — 法界定印から膝の上まで

やり方・始め方

瞑想中の手の形に、一つの正解はありません。膝の上に置くか、腿の上で両手を重ねるか、どちらでも構いません。
仏教で広く用いられるのは法界定印(ほっかいじょういん)で、両手を重ねて親指の先を軽く合わせる形です。
どの形でも、要点は同じです。肩と腕の力が抜け、手が「落ち着く場所」にあること。

手の形は、姿勢の一部

瞑想の姿勢というと、足の組み方と背骨の立て方に注意が向きがちですが、手も姿勢の一部です。手の置き方が定まらないと、肩に力が入ったり、腕の重みで背中が丸まったりして、座り全体が崩れます。逆に、手が落ち着く場所に収まると、肩が下がり、呼吸が深くなります。

仏教では、手の組み方を印(いん)と呼びます。もとはサンスクリットの「ムドラー」で、「しるし」という意味です。仏像の手の形を思い浮かべていただくと分かりやすいと思います。印は、単なる手の置き場所ではなく、体でひとつの状態を表すもの、と考えられてきました。

ただ、初めて座る方に、まず印の意味を覚えていただく必要はありません。「手が落ち着く場所にある」ことが先で、意味は後からついてきます。

法界定印の組み方

法界定印は、禅の坐禅でも、密教の瞑想でも、広く用いられる印です。定印(じょういん)、禅定印(ぜんじょういん)とも呼ばれます。組み方は次の通りです。

  1. 足を組むか椅子に座り、背骨を立てます。
  2. 片方の手のひらを上に向け、腿の付け根あたり(下腹の前)に置きます。
  3. もう片方の手を、同じく手のひらを上に向けて、その上に重ねます。指は軽く揃え、両手の指の付け根が重なるくらいにします。
  4. 両手の親指の先を、軽く触れ合わせます。押しつけず、離れもしない程度です。
  5. 親指と人差し指で、ゆるやかな楕円ができます。この楕円が崩れないように、しかし力は入れずに保ちます。

どちらの手を上に重ねるかは、流儀によって異なります。禅の坐禅では左手を上に重ねる形が広く用いられ、密教の仏像(胎蔵界の大日如来など)では右手を上に重ねた形で表されることが多いようです。どちらが正しいということではなく、学ぶ場の作法に従えばよく、独りで座るなら落ち着くほうで構いません。

法界定印には、瞑想の状態を手で知る、という実用的な働きがあります。親指の先が強く押し合っているときは力んでいる。親指が離れて楕円が崩れているときは眠気か雑念で緩んでいる。手を見るだけで、今の心の状態がある程度分かります。坐禅で法界定印が重んじられてきた理由の一つは、ここにあると思います。

膝の上に置く形

もう一つ、ごく一般的なのは、両手をそれぞれの膝(または腿)の上に置く形です。手のひらを下に向けて膝に軽く乗せる形と、手のひらを上に向ける形があります。

  • 手のひらを下に向けると、腕の重みが膝に預けられ、肩が落ち着きます。長く座るときに楽です。
  • 手のひらを上に向けると、胸が開きやすく、呼吸が入りやすいと感じる方が多いようです。ヨガの瞑想でよく見る形です。

椅子で座る場合、法界定印を組もうとすると腕が浮いて肩に力が入ることがあります。その場合は無理に組まず、膝の上に置く形のほうが落ち着きます。椅子での座り方は瞑想の正しい姿勢 — 椅子でも床でもに書きました。

ヨガのムドラーとの違い

ヨガの瞑想では、親指と人差し指の先を合わせ、残りの三本の指を伸ばす形(チンムドラー、ギャーナムドラーなどと呼ばれます)がよく用いられます。手のひらを上に向けて膝に置く形が多いようです。

仏教の印もヨガのムドラーも、語源は同じ「ムドラー」です。手の形に意味を持たせ、体の形で心の状態を整える、という考え方も共通しています。違いは、それぞれの体系の中で、どの形にどんな意味を置いてきたか、という歴史の違いであり、優劣ではありません。ヨガで学んだ手の形を瞑想で使って、まったく問題ありません。ヨガと仏教の瞑想の関係はヨガの瞑想と仏教の瞑想で扱っています。

密教における印 — 公開されている範囲で

密教の観法では、印は三密(さんみつ・身・口・意の三つの働き)のうち、身密(しんみつ・体の働き)にあたります。手で印を結び、口で真言を唱え、心で本尊を観じる。この三つを揃えることで、体と言葉と心が一つの方向を向く、という考え方です。印は、この三つのうち「体」の部分を担っています。

仏像の手の形として広く知られている印には、次のようなものがあります。

  • 法界定印:両手を重ね、親指を合わせる。瞑想・禅定の状態を表す。胎蔵界の大日如来などに見られる。
  • 智拳印(ちけんいん):左手の人差し指を立て、右手でそれを握る。金剛界の大日如来の印として知られる。
  • 施無畏印(せむいいん)・与願印(よがんいん):右手を上げて手のひらを見せ、左手を下げて手のひらを見せる。恐れを除き、願いを受ける意味を表す。
  • 来迎印(らいごういん):阿弥陀如来が親指と他の指で輪をつくる印。

これらは仏像を通して一般に知られている形であり、意味を知っておくと寺院で仏像を見る楽しみが増すと思います。

一方で、密教の行法の中で結ばれる数多くの印、その順序や、真言と組み合わせる次第は、師から弟子へ伝えられる伝授に属します。ここでその内容を書くことはしません。これは秘密にして価値を高めているのではなく、体で覚えるべきことを文字で先に知ると、かえって妨げになる、という考えに基づいています。

一般の瞑想として座るなら、法界定印か膝の上の形で十分です。密教の印を知らなくても、瞑想は成り立ちます。

よくある誤解 — 「正しい印でないと効かない」

手の形について、「正しく組まないと瞑想の効果がない」と心配される方がいます。しかし、手の形は瞑想の中身ではなく、瞑想を支える器です。器の形が少し違っても、中身である「息に戻ること」は変わりません。

もう一つの誤解は、「手の形で特別な力が得られる」というものです。印には意味がありますが、それは「体の形で心の向きを表す」という意味であって、形を真似れば何かが起きるというものではありません。印を結んだ手は、心の状態を映す鏡のようなものです。鏡を磨いても、映るものは変わりません。

康照から、ひとこと

私は、手の形を細かく直すより、肩が落ちているかを先に見ます。
肩が上がったまま、きれいに印を結んでいる人より、
膝の上に手を置いて、肩がすとんと落ちている人のほうが、静かに座れていることがあります。
印は、形を守るためにあるのではありません。
むしろ、体が整ったときに自然とそうなる形を、先人が名前をつけて残したものではないでしょうか。
手は、落ち着く場所に置けばよい。
法界定印が落ち着くなら法界定印、膝の上が落ち着くなら膝の上。
そう思っています。

よくある質問

法界定印の親指は、くっつけるのですか、離すのですか

軽く触れ合わせます。押しつけると力みになり、離れると楕円が崩れます。「紙一枚を挟んでいる程度」とよく言われます。離れていることに気づいたら、それは眠気か雑念の合図なので、そっと戻してください。

手が冷たくなったり、しびれたりします

長く同じ形を保つと血流が滞ることがあります。瞑想中でも、静かに手の位置を変えて構いません。膝の上に置き直すか、一度握って開いてから戻してください。動くこと自体は瞑想を妨げません。

歩く瞑想のときの手はどうしますか

歩く瞑想では、両手を体の前で軽く組むか、後ろで組むか、自然に下ろすかのいずれかです。歩きに合わせて腕を振る必要はありません。詳しくは歩く瞑想のやり方に書きました。

仏像の印を真似て瞑想してもいいですか

法界定印は、まさに仏像の印をそのまま瞑想に用いる形なので、問題ありません。智拳印などは本来、行法の中で結ばれる印ですが、形を試すこと自体に害はありません。ただし、形だけ真似ても特別な何かが起きるわけではない、ということは知っておいてください。

関連するページ