瞑想の時間は、初心者なら1回10分で十分です。慣れてきたら20〜30分に延ばします。
私自身の毎日の実践は、短い日で10分、長い日で60分。朝か夜に座ります。
長さよりも大事なのは、短くても毎日座ることです。
瞑想は何分が「正解」か
「瞑想は何分やればいいですか」という問いに対する正直な答えは、「決まった正解はない」です。ただ、それでは目安がなくて困るので、一般的な目安を書きます。
- 始めたばかり:1回10分
- 1〜2か月続いたら:15〜20分
- 習慣になったら:20〜30分
- さらに深めたい日:40〜60分
これは上限でも下限でもなく、多くの方が無理なく進める道筋です。10分で始めて、10分のまま何年も続ける方もいますし、それで十分に瞑想になっています。
私自身の実践は、短い日は10分、長い日は60分です。朝か夜に座ります。毎日60分座っているわけではなく、日によって長さを変えています。これは手抜きではなく、生活のなかで続けるための現実的な形です。
なぜ初心者は10分なのか
初めから30分、60分と座ろうとすると、多くの場合、三つの問題が起きます。
一つは、体の問題です。慣れない姿勢で長く座ると、足のしびれや腰の痛みが出て、痛みにばかり気を取られます。姿勢が安定するまでは、短い時間で区切るほうが、瞑想そのものに集中できます。
二つは、心の問題です。長く座ると、雑念の多さに圧倒され、「自分には向いていない」という結論に飛びつきやすくなります。10分なら、雑念があっても「10分は座った」という事実が残ります。
三つは、生活の問題です。30分を毎日確保するのは、仕事や家族のある生活では簡単ではありません。10分なら、朝の身支度の前や、夜の寝る前に、無理なく入ります。
仏教の瞑想も、長時間を目指すものではありませんでした。坐禅では線香一本が燃え尽きる時間(およそ30〜40分)を一座の目安にしますが、それは慣れた修行者の単位です。初めから同じ長さを目指す必要はありません。
長さより「毎日」が大事な理由
瞑想は、一度の長さより、繰り返しの回数で身につきます。週に一度60分座るより、毎日10分座るほうが、心の変化は確かです。
理由は単純で、瞑想で養われるのは「心がそれたことに気づいて戻る」という働きであり、この働きは、毎日少しずつ使うことで育つからです。筋力と似ています。週に一度だけ長時間使っても、日々の体には残りにくい。
また、毎日座ることで、「座る」ことそのものが生活のリズムに組み込まれます。歯を磨くように、座る。そうなれば、「今日はやろうかどうしようか」と迷う時間が消えます。続け方の工夫は瞑想を習慣にする方法と瞑想が続かない理由に書きました。
時間を延ばすとき
10分が安定して続くようになったら、時間を延ばしてみてもよい時期です。延ばすときの目安は次の通りです。
- 10分が「短い」と感じるようになってから延ばす。「まだ座っていたい」と思えるのが合図です。
- 一度に大きく延ばさない。10分から15分、15分から20分と、5分刻みで。
- 延ばして苦しくなったら、元に戻す。戻すことは後退ではありません。
- 毎日同じ長さでなくてよい。忙しい日は10分、ゆとりのある日は30分、というように変えて構いません。
私が短い日と長い日を使い分けているのも、この考え方によるものです。毎日60分を自分に課すと、できない日に「今日はやめておこう」となり、結局座らない日が増えます。10分なら、どんな日でも座れます。
タイマーと時間の測り方
時間を決めて座るときは、タイマーを使うことを勧めます。時計を見ながら座ると、「あと何分か」が気になり、心が落ち着きません。
タイマーの音は、できるだけ穏やかなものを選んでください。鋭い音で終わると、せっかく静まった心が急に引き戻されます。鈴(りん)の音や、音量を絞った穏やかな音がよいでしょう。瞑想アプリのタイマー機能を使う方も多いと思います(瞑想アプリは使うべきか)。
タイマーが鳴っても、すぐに立ち上がらず、一度深く息をして、ゆっくり目を開けてください。終わり方を丁寧にすると、瞑想の静けさが日常に少し持ち越されます。
よくある誤解 — 長く座るほど深くなる
「長く座れば座るほど、瞑想は深くなる」という考えは、半分正しく、半分誤っています。
確かに、心が落ち着くまでにはある程度の時間がかかります。10分では落ち着き始めたところで終わる、という感覚は、多くの方が持ちます。その意味で、慣れてきたら20〜30分座る価値はあります。
しかし、長く座ることが目的になると、別の問題が起きます。長時間の瞑想を毎日続けて、体や心が疲れてしまう方がいます。過度な瞑想は、かえって心の不調を招くことがあり、私はやめるように伝えています。詳しくは瞑想のやりすぎ — 過度な瞑想の弊害と瞑想の危険性 — 魔境・禅病とは何かに書きました。
瞑想は、長さを競うものではありません。「今日は何分できたか」ではなく、「今日も座ったか」で見てください。
仏教の瞑想から見た補足 — 「時間」
一つの視点として、密教の修行の見方を添えておきます。真言宗の修行には、一座(いちざ)という単位があります。一回の行の始まりから終わりまでを一座と呼び、朝・昼・夕・夜の決まった時刻に行う形が伝統的です。時間の長さよりも、「決まった時に、決まった形で、必ず座る」という規則性が重んじられます。
これは、瞑想を日常に組み込むうえで、示唆に富んでいます。「何分やるか」より「いつ、必ずやるか」。密教の修行者は、長さの達成ではなく、欠かさない反復のなかで、心が整っていくことを知っていました。10分でも、毎日同じ時刻に座れば、それはすでに一座です。
康照から、ひとこと
私は、瞑想を「何分やったか」で測らなくていいと思っています。
私自身、短い日は10分です。
長い日は60分座りますが、それが毎日ではありません。
長く座った日が良い日で、短い日が悪い日、ということではありません。むしろ、短くても座った日が積み重なって、心の土台になっていくのだと感じています。
今日10分しか座れなかったのなら、10分座ったのです。
それで十分ではないでしょうか。
よくある質問
5分でも意味がありますか
あります。5分でも、座って息を数えれば瞑想です。10分を勧めるのは、落ち着き始めるまでに少し時間がかかるからであって、5分が無駄だという意味ではありません。忙しい日は5分でも座ってください。
1日に2回やってもいいですか
構いません。朝と夜に10分ずつ、という形は、1回20分よりも続けやすい方もいます。私も朝か夜に座っています。
60分以上座ってもいいですか
慣れた方なら構いませんが、毎日長時間を自分に課す必要はありません。長時間の瞑想を続けて心身が疲れる方もいます。苦しさや不調が出たら、時間を減らしてください。
朝と夜、どちらが適していますか
どちらでも構いません。朝は心が静かで雑念が少なく、夜は一日を整理する時間になります。生活のなかで続けやすいほうを選んでください。瞑想は朝と夜どちらがいいかで詳しく書いています。
時間を決めずに、気の済むまで座ってもいいですか
慣れてからなら構いません。ただ、初めのうちは時間を決めるほうが、「もうやめたい」という気持ちに流されず、座りきる練習になります。


