瞑想の呼吸法は、まず「息を数える」ことから始めてください。これを数息観(すそくかん)と呼びます。
吐く息に合わせて一から十まで数え、十まで行ったら一に戻る。分からなくなったら一からやり直す。
呼吸を操作する必要はありません。自然な息を、ただ数えるだけです。
瞑想の呼吸法は「数える」から入る
瞑想の呼吸法と聞くと、腹式呼吸や、吸う秒数と吐く秒数を決めた呼吸法を思い浮かべる方が多いと思います。それらが役に立つ場面もありますが、瞑想の入口としては、私は数息観から入ることを勧めています。
数息観とは、息を数える瞑想です。仏教の瞑想のなかでも最も古い入口の一つで、心を落ち着ける「止(し)」の瞑想、つまりサマタ(止)の代表的な方法として、千年以上にわたって初心者に用いられてきました。
なぜ最初に数えるのかというと、「数える」という具体的な作業があることで、心の置き場所がはっきりするからです。「呼吸を見つめなさい」と言われても、初めのうちは何を見ればよいのか分かりません。数があれば、今自分が何をしているかが分かり、心がそれて数が分からなくなれば、それたことにも気づけます。
数息観のやり方 — 手順
数息観の手順は、次の通りです。
- 姿勢を整えて座ります。椅子でも床でも構いません(瞑想の正しい姿勢 — 椅子でも床でも)。
- 目は閉じるか、半分開けます。
- 息は自然に任せます。深くしようとも、ゆっくりしようともしないでください。
- 吐く息に合わせて、心の中で「ひとつ」と数えます。次の吐く息で「ふたつ」。こうして「とお」まで数えます。
- 十まで数えたら、また「ひとつ」に戻ります。
- 途中で数が分からなくなったり、十を超えて数えていることに気づいたりしたら、「ひとつ」に戻ります。
- 決めた時間がきたら、ゆっくりと数えるのをやめ、一度深く息をして、目を開けます。
数えるのは吐く息が基本です。吐く息のほうが長く、心が落ち着きやすいからです。慣れてきたら、吸う息と吐く息の両方を数えても構いません。
十で区切るのは、数が大きくなると「数えること」が目的になり、心が数字に引っ張られてしまうからです。十で一に戻ることで、数える作業が単純なまま保たれます。
数が分からなくなったとき
数息観を始めた方のほとんどが、数が分からなくなります。三つか四つまで数えたところで考えごとが始まり、気づいたら「今いくつだったか」が分からない。あるいは、気づいたら十を超えて十五、二十と数え続けている。
これは失敗ではありません。数が分からなくなったことに「気づいた」瞬間が、瞑想のなかで最も大事な瞬間です。心がそれていたと気づき、また一に戻る。この「気づいて、戻る」を何度も繰り返すことが、数息観の中身そのものです。
「一に戻る」ときに、自分を責めないでください。「また失敗した」「集中力がない」と思うと、その思いがまた新しい雑念になります。ただ淡々と、一に戻る。雑念は消そうとせず、流すように扱ってください(瞑想中に雑念が消えないとき)。
呼吸を操作しない
数息観で多い誤解は、「よい呼吸をしなければならない」と思って、息を深く、長く、ゆっくりにしようとすることです。
数息観では、呼吸を操作しません。浅ければ浅いまま、速ければ速いまま、ただ数えます。数えているうちに、呼吸は自然に落ち着いていきます。これを、こちらから無理に落ち着かせようとすると、息が苦しくなったり、呼吸に意識が集中しすぎて肩や胸に力が入ったりします。
腹式呼吸を否定するわけではありません。腹式呼吸は、体をゆるめ、呼吸を深くするためのよい方法です。ただ、それは瞑想の前の準備運動のようなもので、瞑想の最中は、呼吸を「する」のではなく「見る」側に回ってください。
息を数えることと、呼吸を観察することは、少し違います。数息観は数える。その後に続く「随息観(ずいそくかん)」は、数えるのをやめて息の出入りをただ追う。さらに進むと、息を追うこともやめて、ただ在る。仏教ではこうした段階が説かれてきましたが、まずは数えるところを、丁寧に続けることが大切です。
呼吸法が心を落ち着ける理由
呼吸は、自分の意思で速くも遅くもできる一方で、意識しなくても続いている、という珍しい働きです。心と体の両方に属している。だからこそ、昔から瞑想の入口に置かれてきました。
呼吸に注意を向けると、心が「今ここ」に戻ってきます。考えごとは過去や未来に向かいますが、息は今しかありません。数えている間、心は今の息に置かれています。
ゆっくりとした呼吸が体の緊張をほどくことは、多くの人が経験として知っています。ただし、ここで「呼吸法で何かが治る」とは言いません。呼吸法は、心を静かに置くための道具であって、医療の代わりではありません。
仏教の瞑想から見た補足 — 「息」
一つの視点として、密教の観法の見方を添えておきます。真言宗では、身(からだ)・口(ことば)・意(こころ)の三つを整える三密(さんみつ)という考え方があります。息は、このうちの「口」と深く関わります。真言(しんごん・仏の言葉とされる短い言葉)を唱えるのは息に乗せてであり、息そのものが言葉の土台です。
密教の瞑想では、息に真言を乗せる、あるいは息と共に観想(かんそう・心に像を思い描くこと)を行う方法がありますが、その具体的な次第は伝授に属するものなので、ここでは書きません。一般の瞑想として言えるのは、息を数えることは、密教の観法から見ても、心を一点に置く基本の練習にあたる、ということです。
息を数えるという単純な作業の先に、密教では、息と言葉と心が一つになる状態を見ています。数息観は、その遠い入口でもあります。
康照から、ひとこと
私は、数息観を「簡単すぎる」とは思っていません。
一から十まで、数える。
たったそれだけのことが、最初は三つも続きません。
それは集中力がないからではありません。むしろ、心がどれだけ動いているかが、やっと見えるようになったからです。
数が分からなくなるたびに、一に戻る。
戻れたことが、その日の瞑想です。
私自身、いまも数えるところから座ることが多いと思っています。
よくある質問
吸う息で数えても、吐く息で数えてもいいですか
どちらでも構いませんが、初めは吐く息で数えることをおすすめします。吐く息のほうが長く、心が落ち着きやすいからです。
十まで一度も数えられません
ごく普通のことです。数えられないことに気づいて一に戻ること自体が、数息観の中身です。回数や到達点を目標にしないでください。
腹式呼吸は瞑想の呼吸法ではないのですか
腹式呼吸は体をゆるめ、呼吸を深くするためのよい方法ですが、瞑想の最中は呼吸を「操作する」より「見る」側に回ります。腹式呼吸は座る前の準備として行い、座ったら自然な息を数える、という使い分けがよいと思います。
鼻で吸うべきですか、口で吸うべきですか
基本は鼻で吸い、鼻で吐きます。鼻が詰まっているときは口で構いません。無理に鼻にこだわって苦しくなるより、楽に続く方を選んでください。
数息観の次は何をすればいいですか
数えることが安定してきたら、数えるのをやめて息の出入りを追う方法(随息観)に進むことができます。ただ、急ぐ必要はありません。数息観だけを長く続けている方もいます。呼吸瞑想・数息観とはで段階を詳しく書いています。


