瞑想の始め方は、座って、息を数えて、10分で終える。これだけです。
道具も、特別な知識も、信仰も要りません。椅子に腰かけたままで構いません。
初日に「うまくできた」と感じる必要もありません。座ったこと自体が、初日の成果です。
瞑想を始めるのに必要なもの
瞑想を始めるために買い足すものは、何もありません。座る場所と、10分の時間と、「今日はこれをやる」と決める心があれば足ります。
瞑想用の座布団(座蒲)、音楽、香、アプリといったものは、あれば助けになることもありますが、なくても始められます。むしろ初日は、道具を揃えることに時間を使うより、まず一度座ってしまうほうが早いと思います。道具の話は、何日か続けてから考えても遅くありません。
仏教では瞑想のことを「禅定(ぜんじょう)」と呼びます。禅定とは、心を一つのところに静かに保つことです。千年以上前から行われてきたこの実践が、特別な道具を前提にしていないのは当然で、道具がなければできないものなら、ここまで続いてきていないはずです。
初日にやること — 手順
初日の手順を、できるだけ短く書きます。
- 静かな場所を選ぶ。完全な無音である必要はなく、しばらく話しかけられない場所であれば十分です。
- 座る。椅子でも床でも構いません。背筋を軽く伸ばし、両手は膝の上か、膝の上で軽く重ねます。
- 目は閉じるか、半分開けて少し先の床を見ます。どちらでも構いません。
- 息を数えます。吐く息に合わせて「ひとつ」、次の吐く息で「ふたつ」と、心の中で十まで数え、十まで行ったら一に戻ります。
- 途中で数が分からなくなったら、一からやり直します。これは失敗ではなく、瞑想の一部です。
- 10分たったら終わります。終わる前に、ゆっくり一度深く息をして、目を開けます。
息を数えるやり方を仏教では「数息観(すそくかん)」と呼びます。古くから初心者の入口として用いられてきた方法で、私の道場でも、呼吸はまず数息観から入ってもらっています。数える対象があることで、心が迷子になりにくいからです。
時間は、初日は10分で十分です。タイマーをかけておくと、「あと何分だろう」と気にせずに済みます。
姿勢は椅子でも床でもよい
「瞑想は床にあぐらで座らなければならない」と思っている方が多いのですが、そうではありません。私は、結跏趺坐(けっかふざ・両足をそれぞれ反対の腿に乗せる組み方)でも、半跏坐(はんかざ・片足だけを反対の腿に乗せる組み方)でも、椅子でもよい、という方針で伝えています。
大切なのは足の組み方ではなく、背骨が自然に立っていて、長く座っていても苦しくないことです。50代以降の方や、膝や腰に不安のある方は、椅子から始めるのが現実的です。椅子に座るときは、背もたれに寄りかからず、足の裏を床につけ、坐骨で座面を押すように腰を据えると安定します。
姿勢については別のページで詳しく書いています(瞑想の正しい姿勢 — 椅子でも床でも)。初日は「背筋を軽く伸ばして、楽に座る」だけ覚えておけば十分です。
雑念が出るのは普通のこと
初日に多くの人が戸惑うのが、「座った途端に考えごとが次々と出てくる」ことです。仕事のこと、家族のこと、夕飯のこと。「私は瞑想に向いていないのかもしれない」と感じる方もいます。
しかし、雑念が出ること自体は、瞑想が失敗している印ではありません。心が動いているのが見えるようになった、というだけです。座る前も心は同じように動いていたのですが、忙しさに紛れて気づかなかっただけです。
雑念への対処は、消そうとしないことです。私は「流す」ように伝えています。考えが浮かんだら、「ああ、考えていたな」と気づいて、また数えている息に戻る。これを何度でも繰り返します。消そうと力むほど、雑念は強くなります。川の水が流れていくのを岸から眺めるように、通り過ぎさせてください。雑念の扱いは瞑想中に雑念が消えないときでさらに詳しく書いています。
初日にやらなくていいこと
初日に、やらなくていいことも書いておきます。
- 長時間やること。初日から30分、60分と座る必要はありません。短くても毎日座るほうが、瞑想は身につきます。
- 「無になる」こと。無になろうとすると、かえって頭が忙しくなります。息を数えるだけで十分です。
- 効果を確かめること。初日に「落ち着いたか」「変わったか」を点検しなくて構いません。変化は、何日か続けたあとに、ふと気づくものです。
- 正しさを気にしすぎること。目の開け閉め、手の形、足の組み方は、どれも「こうでなければならない」というものではありません。
- 特別な体験を期待すること。光が見えたり、深い静けさに包まれたりといった体験を目標にしないでください。そうした体験を追うと、瞑想は長続きしません。
仏教の瞑想から見た補足 — 「始める」ということ
一つの視点として、密教の観法の見方を添えておきます。真言宗では、瞑想を含む修行を「身(からだ)・口(ことば)・意(こころ)」の三つを整える営みとして捉えます。これを三密(さんみつ)と呼びます。姿勢を整えるのが身、息を数えるのが口に近い働き、数えることに心を置くのが意です。初日の10分は、その三つを同時に扱う、ごく小さな練習だと言えます。
密教では、修行の入口に「ともかく始める」という発心(ほっしん)を重く見ます。完璧に準備が整ってから始めるのではなく、心が向いたときに一歩を踏み出すこと。初日に座る10分は、まさにその一歩です。
康照から、ひとこと
私は、初日の瞑想に「うまくできた」という感覚は要らないと思っています。
座ってみて、雑念だらけで、10分が長く感じた。
それで十分です。
瞑想は、何かを得る時間ではありません。むしろ、何も足さずに、今の自分をそのまま眺める時間です。
最初の一回で、眺める側に立てたのなら、それはもう始まっています。
明日もまた、座ってみてください。
続くかどうかは、今日決めなくていいのではないでしょうか。
よくある質問
初日は何分がいいですか
10分をおすすめします。短く感じるかもしれませんが、初日は「座った」という事実をつくることが目的です。慣れてきたら少しずつ延ばしても構いません。時間については瞑想は何分やればいいかで詳しく書いています。
朝と夜、どちらに始めるべきですか
どちらでも構いません。生活の中で、邪魔が入りにくい時間を選んでください。私自身は朝か夜に座っています。続けやすさが最優先です。
息を数える以外の方法で始めてもいいですか
構いません。ただ、初日は数息観が最も迷いにくい方法です。数える対象があることで、「今何をしているのか」が分からなくなりにくいからです。他の方法は、何日か続けてから試すのがよいと思います。
宗教を信じていなくても瞑想を始めていいですか
はい。瞑想は仏教の中で長く育てられてきた実践ですが、信仰がなくても取り組めます。私は瞑想を宗教の儀式ではなく、人生後半を整える実践として伝えています。
途中でやめたくなったら
やめて構いません。10分と決めて5分でやめたとしても、5分座ったことに変わりはありません。翌日また座れば、それで続いています。


