瞑想を習慣にするこつは、意志の力に頼らず、「座らざるを得ない仕組み」を先に作ることです。
時刻と場所を固定し、時間は短くし、すでにある動作の直後に座る。途切れたら、責めずにまた座る。
続くかどうかは、気合いではなく、組み立てで決まります。
続かないのは意志が弱いからではない
「瞑想を始めたが、三日で途切れた」「よいと分かっているのに続かない」という方は多いと思います。そして多くの方が、続かない理由を自分の意志の弱さに求めます。
しかし、瞑想が続かない主な理由は、意志ではなく組み立てにあります。「いつ」「どこで」「何分」「何をきっかけに」座るかが決まっていないと、毎日「今日はどうしようか」と考えることになり、考えているうちに一日が終わります。意志は、この「考える」場面で消耗します。考えなくても座れる仕組みを作れば、意志はほとんど必要ありません。
瞑想が続かない理由の全体像は瞑想が続かない理由に書きました。ここでは、続けるための組み立てに絞って書きます。
仕組みの作り方 — 五つの要点
1. 時刻と場所を固定する
毎日、だいたい同じ頃に、同じ場所で座ります。朝でも夜でも構いませんが、日によって変えないことです。場所も、部屋の隅の座布団、いつもの椅子、というように一箇所に決めます。同じ時刻に同じ場所に体を運ぶと、そこに座った時点で、体が「瞑想の時間だ」と覚えていきます。朝と夜の選び方は瞑想は朝と夜どちらがいいかに書きました。
2. すでにある動作の直後に置く
時刻を固定できない生活の方は、動作に固定します。「起きたら」「顔を洗ったら」「帰宅して着替えたら」「風呂から上がったら」。毎日必ず行う動作の直後に瞑想を置くと、その動作が合図になり、迷わずに座れます。新しい習慣を単独で立ち上げるより、すでに続いている習慣の後ろにつなげるほうが、はるかに定着しやすいからです。
3. 短くする
習慣として定着するまでは、時間を欲張らないことです。5分でも、3分でも構いません。「30分座らなければ瞑想ではない」と思っていると、30分とれない日に座らなくなり、座らない日が続いて途切れます。短くても毎日座った人のほうが、長くても週に一度の人より、続きます。時間については瞑想は何分やればいいかに書きました。
4. 準備をなくす
座るまでの手順が多いと、それだけで座らなくなります。座布団を出す、音楽を選ぶ、お香を焚く、タイマーを設定する。これらが毎回必要だと、「今日は面倒だ」が勝ちます。座布団は出しっぱなしにする、タイマーは前日の設定のままにする、道具は使わない。座るまでに必要な動作を、できるだけ少なくしてください。
5. 記録する
カレンダーに印をつける、手帳に「座った」と一言書く。それだけで十分です。記録の目的は、自分を評価することではなく、「続いている」という事実を目に見える形にすることです。印が並んでいくのを見ると、途切れさせたくないという気持ちが自然に働きます。
途切れたときの戻り方
どれだけ仕組みを整えても、途切れる日は来ます。出張、体調不良、家族の用事。問題は途切れることではなく、途切れた後に戻れるかどうかです。
戻るための約束を、あらかじめ自分と結んでおくことを勧めます。
- 一日抜けても、翌日は何もなかったように座る。
- 「取り戻そう」として翌日に倍の時間を座らない。いつも通りの時間でよい。
- 一週間以上抜けたら、時間を最初の短さに戻してやり直す。
- 抜けた理由を分析しない。「忙しかった」で終わりにする。
途切れたときに最も続かなくさせるのは、「もう駄目だ」という自己評価です。瞑想は、一日抜けても失われるものではありません。翌日、また座れば、そこから続きです。
習慣になるまでの時間
習慣が定着するまでにどのくらいかかるか、という問いには、人によって、また行動によって幅がある、というのが正直な答えです。日常の行動が自動化されるまでの期間を追った研究では、数週間で定着する人から数か月かかる人まで、大きな幅があることが報告されています。「21日で習慣になる」といった一律の数字は、目安以上のものではありません。
ですから、「何日続けたら安心」という線は引かず、「考えずに座れるようになったら習慣になった」と考えてください。座る前に「今日はやろうか」と迷わなくなった日が、その人にとっての定着の日です。
仏教の修行が「日課」である理由
仏教の修行は、古くから「日課(にっか)」として組まれてきました。朝の勤行、掃除、食事、坐、夕の勤行。決まった時刻に、決まった場所で、決まった順序で行う。修行者の一日は、こうした日課の繰り返しでできています。
なぜ日課なのか。それは、気分や意志に頼ると続かないことを、先人がよく知っていたからだと思います。「今日は気が乗らない」という日も、鐘が鳴れば本堂に向かう。そこに意志はいりません。日課という仕組みが、修行者を運んでいきます。
密教の修行でも、一日の行は時刻ごとに定められ、順序も形も決まっています。その次第は伝授に属するため書きませんが、「決められた通りに繰り返す」ことが修行の土台である、という点は、禅でも天台でも上座部でも変わりません。瞑想を習慣にするとは、自分の生活の中に、小さな日課を一つ作ることです。
もう一つ、仏教の修行には「大勢で同じ時刻に行う」という面があります。独りでは続かないことも、共に座る人がいれば続く。これは現代でも同じで、瞑想会や仲間との約束は、習慣を支える仕組みとして今も有効です。
康照から、ひとこと
私は、瞑想が続くかどうかを、意志の強さだとは思っていません。
座る時刻が決まっているか。
座る場所が決まっているか。
座るまでの手間が少ないか。
それだけのことで、続くか続かないかは、ほとんど決まってしまう気がします。
途切れた日に必要なのは、反省ではありません。
むしろ、翌日いつも通りに座ることのほうが、よほど大事ではないでしょうか。
一日抜けても、瞑想はどこにも行きません。
また座れば、そこから続きだと思っています。
よくある質問
毎日続けないと意味がないですか
毎日のほうが定着しやすいのは確かですが、週に数回でも瞑想は成り立ちます。「毎日でなければ意味がない」と思うと、一日抜けただけでやめてしまいます。目標は「毎日」でも、途切れても戻る、という構えでいてください。
旅行や出張のときはどうすればいいですか
場所が変わっても、「起きたら」「風呂から上がったら」という動作への固定は保てます。ホテルの椅子で3分座るだけで、習慣の糸はつながります。できない日があっても、帰宅したらいつも通りに戻れば問題ありません。
家族がいて、静かな場所がとれません
静かな場所は必須ではありません。生活音の中でも瞑想はできます。早朝や、家族が寝た後など、時間帯で工夫するか、音が気になるなら「音も観察の対象にする」と決めてしまう方法もあります。環境については瞑想に向いた場所・環境に書きました。
瞑想アプリの連続記録を使うのは有効ですか
記録として有効です。ただ、連続記録が途切れたときに「もう駄目だ」と感じてやめてしまう方もいます。記録は励みに使い、途切れたら数字を気にせず翌日また座る、という使い方がよいと思います。アプリについては瞑想アプリは使うべきかで扱っています。
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参考文献
- Lally, P., van Jaarsveld, C. H. M., Potts, H. W. W., & Wardle, J. (2010). How are habits formed: Modelling habit formation in the real world. European Journal of Social Psychology, 40(6), 998–1009.


