定年後・シニアの瞑想は、椅子に座って10分から始めれば十分です。
床に座る必要も、長時間座る必要もなく、膝や腰、眠気、血圧といった体の変化に合わせて形を変えてよいものです。
自由になった時間を「埋める」のではなく、「整える」ために使う。それがシニアの瞑想の芯になります。
定年後に、なぜ瞑想なのか
定年を迎えると、生活の形が一変します。朝の出勤がなくなり、名刺が消え、「何者であるか」を説明していた肩書きが手元から離れます。時間は豊かにあるのに、その時間を何に使えばよいかが分からない。「毎日が日曜日」という言葉には、喜びと同じくらいの戸惑いが含まれています。
この戸惑いは、怠けでも衰えでもありません。人生の前半を支えていた外側の物差しが外れ、内側の物差しをあらためて探す時期に入ったということです。瞑想は、この時期にもっとも素直に役立つ実践の一つだと私は思っています。
瞑想は、何かを生み出す活動ではありません。すでにある体と心を、本来の落ち着いた状態に戻していく時間です。仕事で張りつめていた呼吸を静かに戻し、固まった肩を下ろし、散っていた心を一つに集める。定年後の一日に、こうした「整える時間」が一つあるだけで、残りの時間の質が変わってきます。
仏教の側から言えば、人生後半は本来、内側に向かう時期とされてきました。古代インドには、人生を学生期・家住期・林住期・遊行期の四つに分ける考え方があり、家庭と仕事の務めを果たした後は、静かに内面を見つめる段階に入るとされました。定年後の瞑想は、現代の形でこの流れに乗ることでもあります。
椅子でよい — 床に座らなくてよい理由
シニアの瞑想で最初に伝えたいのは、「椅子でよい」ということです。
瞑想というと、床にあぐらをかき、背筋をまっすぐに伸ばした姿を思い浮かべる方が多いでしょう。結跏趺坐(けっかふざ。両足を組む座り方)や半跏坐(はんかざ。片足だけ組む座り方)は、確かに仏教の瞑想で古くから用いられてきた姿勢です。しかし、それは姿勢の一つの形であって、瞑想の本質ではありません。
瞑想の姿勢で大切なのは、背骨が自然に立っていること、そして長く座っても痛みや痺れで注意が奪われないことです。膝や股関節、腰に不安がある方が、無理に床で足を組めば、痛みが瞑想の中心になってしまいます。それは瞑想ではなく、我慢の時間です。
椅子での座り方は簡単です。背もたれのある椅子に浅めに腰かけ、両足の裏を床につけます。背筋は無理に反らさず、頭のてっぺんが天井から軽く吊られているような感覚で自然に伸ばします。手は太ももの上に軽く置きます。背もたれには、疲れたら寄りかかってかまいません。
私自身、結跏趺坐でも半跏坐でも椅子でもよい、という方針で指導しています。椅子での瞑想が床での瞑想に劣る、ということはありません。姿勢の詳細は 瞑想の正しい姿勢 — 椅子でも床でも をご覧ください。
また、腰や膝の具合で座ること自体がつらい日は、仰向けに横になって行ってもよいと考えています。そのまま眠ってしまっても、それはその日の体が必要としていたことです。横になる瞑想については 寝ながら瞑想はできるか にまとめています。
体の変化に、どう付き合うか
60代、70代と年齢を重ねると、瞑想の中で出会う体の反応にも変化が出てきます。主なものを挙げ、それぞれの付き合い方を示します。
眠気。シニアの瞑想でもっとも多いのが眠気です。目を閉じて静かに座れば眠くなるのは、体の自然な反応です。対処の基本は、目を軽く開けて(半眼)行うこと。視線を1〜2メートル先の床に落とし、ぼんやりと見ます。それでも眠いなら、朝の時間に移す、座る前に少し体を動かす、という工夫も有効です。瞑想すると眠くなる原因と対処 も参考にしてください。
痛み・痺れ。10分程度なら椅子で出ることは少ないですが、出たら姿勢を直してかまいません。瞑想中に動いてはいけない、という決まりはありません。静かに足を組み替え、また呼吸に戻ります。
血圧・持病。瞑想は激しい運動ではありませんが、立ち上がるときに立ちくらみが出ることがあります。終わったらすぐに立たず、目を開けて少し体を動かし、ゆっくり立ち上がってください。持病で通院中の方、特に心臓や血圧の治療を受けている方は、主治医に「10分ほど静かに座る時間をつくりたい」と伝えておくと安心です。瞑想は医療の代わりにはなりません。
涙や感情。年齢を重ねた方ほど、静かに座ると、思いがけず涙が出ることがあります。見送った人の顔、やり残したこと、言えなかった言葉。これは異常ではなく、心が整う過程でよく起こることです。拭いてもいいし、拭かなくてもいい。瞑想中に涙が出る・感情が溢れる をご覧ください。
10分でよい — 時間が多いからこそ短く
定年後は時間があります。だからこそ、「せっかくだから長く座ろう」と考える方がいます。しかし、シニアの瞑想は10分から始めることを勧めます。
第一に、長く座るほど、眠気・痛み・退屈が出やすくなります。10分なら、これらが本格化する前に終えられます。
第二に、「物足りない」で終えるほうが、翌日また座りたくなります。「やりきった」で終えると、翌日は腰が重くなります。
第三に、瞑想の価値は一回の長さではなく、毎日続くことにあります。私自身の実践も、短い日は10分、長い日は60分と、日によって変えています。長い日が偉いわけではありません。
慣れてきて、もう少し座りたいと感じる日は、15分、20分と伸ばしてかまいません。ただし、それを「ノルマ」にしないことです。時間については 瞑想は何分やればいいか にまとめています。
一日の中に、どう置くか
定年後の瞑想で意外に難しいのが、「いつ座るか」です。出勤のような区切りがないため、気がつくと一日が過ぎてしまう、ということが起こります。
勧めたいのは、すでにある日課に瞑想を結びつけることです。朝、お茶を淹れた後。朝食の片づけの後。仏壇に手を合わせた後。散歩から戻った後。「〜の後に座る」と決めておくと、意志の力を使わずに続きます。
朝がよいか夜がよいかは、一概には言えません。朝は頭が澄んでいて眠気が少なく、一日の整え方として向いています。夜は一日を静かに閉じる時間として向いていますが、眠気が出やすくなります。瞑想は朝と夜どちらがいいか を参考に、ご自身の体に合うほうを選んでください。
また、家族がいる場合は、「この時間は静かにしている」と一言伝えておくと、気兼ねなく座れます。10分なら、家族の協力も得やすいはずです。
シニアの瞑想の、はじめの一歩
手順を示します。道具も知識も要りません。
- 椅子に座る:浅めに腰かけ、足の裏を床につけ、背筋を自然に伸ばします。手は太ももの上に。
- 目を決める:閉じて落ち着くなら閉じます。眠くなりやすい方は半眼にします。
- 息を数える:数息観(すそくかん)です。吐く息で「ひとつ」、次の吐く息で「ふたつ」と心の中で数え、10まで数えたら「ひとつ」に戻ります。途中で分からなくなったら、「ひとつ」からやり直します。
- 雑念は流す:考えごとが浮かんでも、消そうとしません。「浮かんだな」と気づいて、また数に戻ります。何度戻ってもかまいません。
- 10分で終える:タイマーを使ってかまいません。鳴ったら、すぐに立たず、目を開けて軽く体を動かし、ゆっくり立ち上がります。
「うまくできたか」は評価しないでください。座ったという事実が、今日の瞑想のすべてです。雑念が多いのは、長く生きてきた分、抱えているものが多いということです。瞑想中に雑念が消えないとき をご覧ください。
康照から、ひとこと
私は、50歳を過ぎてから瞑想を始めました。
議員を退き、心臓の手術を受け、それまでの物差しが意味を失ったときでした。
瞑想は、空いた時間を埋めてくれるものではないと思っています。
むしろ、空いた時間を、そのまま眺めていられるようにしてくれるものではないでしょうか。
定年後の時間は、何かで埋めなくてもよいのかもしれません。
椅子に座って、10分。
その10分が、残りの時間を自分の物差しで生きるための、小さな土台になると思っています。
よくある質問
70代、80代からでも瞑想は始められますか
始められます。年齢が上がるほど、椅子・短時間・無理をしない、という基本が大切になります。座ることがつらい日は、横になって行ってもかまいません。
認知症の予防になりますか
瞑想と認知機能の関係については研究が続けられていますが、「予防になる」と言い切れる段階ではありません。予防を目的に始めるより、「今日の一日を整える」ことを目的に座るほうが、結果として続きます。
持病があり、薬を飲んでいます。瞑想してもよいですか
10分ほど静かに座ることは、多くの場合問題ありませんが、主治医に伝えておくことを勧めます。瞑想は治療の代わりにはなりません。治療は続けたうえで、瞑想を日常の一部として置いてください。
眠ってしまいます。意味がありませんか
眠ってしまうこと自体が、体が休息を求めている証拠です。座って行うなら半眼にし、横になって行うなら眠ってもかまいません。眠りから覚めたとき、少し整っているなら、それで十分です。
一人で続ける自信がありません
寺院の坐禅会や瞑想会に足を運ぶのも一つの道です。同じ時間に同じ場所で座る仲間がいると、続けやすくなります。瞑想を習慣にする方法 もご覧ください。


