経営者・管理職にとって瞑想は、能力を上げる道具というより、判断する自分自身を整える時間です。
常に判断を求められ、常に接続されている立場だからこそ、一日に一度、何も判断しない10分を持つことに意味があります。
頑張るより、整える。それが、人の上に立つ人の瞑想の基本姿勢です。
経営者・管理職は、なぜ瞑想に向かうのか
近年、ビジネスの世界で瞑想やマインドフルネスが広く語られるようになりました。企業研修に取り入れられ、経営者が自身の習慣として語る場面も増えています。その背景には、人の上に立つ人に特有の三つの事情があると私は見ています。
第一に、判断の連続です。経営者や管理職の一日は、大小の決断の連続です。朝から晩まで、誰かが答えを求めて扉を叩きます。判断を下す「自分」が疲れ、曇っていれば、判断の質はそのまま下がります。
第二に、孤独です。立場が上がるほど、本音で相談できる相手は減ります。弱音を吐けば組織が揺れる。だから抱え込む。この孤独は、誰にも見えないところで、確実に心を削ります。
第三に、常時接続です。スマートフォンがある限り、仕事は追いかけてきます。休日も、深夜も、頭のどこかが会社とつながっている。「何も考えない時間」が、文字どおり一分もない、という方は少なくありません。
瞑想は、この三つに対して、一つの答えを出します。一日に一度、判断せず、誰とも接続せず、ただ自分の呼吸と向き合う時間を持つ。それだけで、判断する「自分」が整い、孤独が静かな一人の時間に変わり、常時接続の回線が一度切れます。
私自身の経験から — 飲食業の経営と議員の日々
私は20代から飲食の仕事に携わってきました。その後、39歳から50歳まで市議会議員を務めました。どちらも、判断を求められ、評価にさらされる日々でした。飲食の現場では、毎日の売上に追われ、議員の時代には、常に誰かの要望と、誰かの不満の間に立っていました。
振り返ると、あの頃の私には「整える時間」が一つもありませんでした。頑張ることは知っていましたが、整えることを知らなかった。心の疲れを、忙しさで埋めていました。50歳で議員を退き、心臓の手術を受けて、無事に生還したとき、ようやくそのことに気づきました。
これは私の場合ですが、同じような姿を、経営者や管理職の方々に多く見ます。能力があり、責任感があり、頑張れてしまう。だからこそ、整える時間を後回しにする。瞑想は、頑張れる人ほど必要な実践だと、私は自分の経験から思っています。
瞑想は「成果を上げる道具」ではない
ビジネスの文脈で瞑想が語られるとき、「集中力が上がる」「生産性が向上する」「創造性が高まる」といった効用が前面に出ることがあります。瞑想と集中力の関係が語られることは多いのですが、それを目的にすると、瞑想はうまくいきません。
理由は簡単です。「成果を上げるために瞑想する」という姿勢は、瞑想の最中にも「ちゃんと集中できているか」「効果は出ているか」という評価を持ち込みます。評価しながら座る瞑想は、仕事の延長であって、整える時間になりません。
瞑想は、何かを獲得する行為ではなく、すでにある体と心を本来の状態に戻す行為です。乱れた呼吸を静かに戻し、固まった肩を下ろし、散った心を一つに集める。結果として判断が澄み、集中が戻ることはあります。しかしそれは副産物であって、目的ではありません。
経営者・管理職の方に伝えたいのは、瞑想を「投資」と考えないでほしい、ということです。リターンを測らない10分。それが、ほかのどの10分とも違う価値を持ちます。集中力との関係については 集中力と瞑想 に別にまとめています。
「判断しない10分」の作り方
具体的な手順を示します。朝、仕事が始まる前に行うことを勧めます。メールを開く前、スマートフォンに触れる前の10分です。
- スマートフォンを別の部屋に置く:これが最初の、そして最大の一歩です。手の届くところにあると、頭は接続されたままです。
- 椅子に座る:執務室の椅子でかまいません。浅めに腰かけ、背筋を自然に伸ばし、足の裏を床につけます。手は太ももの上に。
- 目を閉じる、または半眼にする:眠気が出るなら、視線を1〜2メートル先の床に落として半眼にします。
- 息を数える:数息観(すそくかん)です。吐く息で「ひとつ」、次の吐く息で「ふたつ」と心の中で数え、10まで数えたら「ひとつ」に戻ります。
- 案件が浮かんだら、流す:今日の会議、未決の案件、昨日の失言。必ず浮かびます。消そうとせず、「浮かんだな」と気づいて、数に戻ります。判断しないことが、この10分の仕事です。
- 10分で終える:タイマーが鳴ったら、ゆっくり目を開け、少し体を動かして、それから一日を始めます。
この10分の間に、仕事を解決しようとしないでください。解決しようとした瞬間、それは瞑想ではなく、仕事になります。
経営者の方から「10分も空けられない」と言われることがあります。しかし、一日の中で10分の空白を作れないとすれば、それ自体が、整える時間が必要だという証拠ではないでしょうか。
孤独と、瞑想
人の上に立つ人の孤独について、もう少し書きます。
孤独は、瞑想で消えるものではありません。むしろ、瞑想は、孤独を「静かな一人の時間」に変えていくものです。
誰にも相談できない、という孤独は、相談相手がいないことではなく、自分自身と向き合う時間がないことから来ている場合があります。朝の10分、誰の要望も聞かず、誰の評価も受けず、ただ自分の呼吸と座る。この時間があると、「一人である」ことが、欠乏ではなく、落ち着きに変わっていきます。
仏教では、釈尊が弟子たちに「自らを島とし、自らを拠り所とせよ」と説いたと伝えられています。人の上に立つ人ほど、拠り所を外に求めがちです。瞑想は、拠り所を自分の内側に戻す実践です。
仏教から見た、人の上に立つ者の瞑想
仏教には、在家の者、つまり出家せずに社会の中で生きる人に向けた教えが多くあります。釈尊の在世当時から、王や商人、長者といった、人を動かす立場の人々が教えを聞きに来ていました。彼らは出家しませんでしたが、日々の務めの中で心を整えることを学びました。
ここで大切なのは、仏教の瞑想が「社会から離れるための技術」ではなかった、ということです。むしろ、社会の中で、責任を負いながら、心を乱さずに生きるための実践として伝えられてきた側面があります。
経営者・管理職の瞑想も、同じ位置にあります。会社を離れるためではなく、会社の中で、判断する自分を整えるために座る。密教の言葉で言えば、身(体)・口(言葉)・意(心)の三つを整える「三密」の考え方があり、体と言葉と心が一つの方向を向いているとき、人は本来の力を発揮するとされます。これは特別な行法ではなく、日々の務めの中で心がけられることです。
康照から、ひとこと
私は、飲食の仕事に携わり、議員を務めていた頃、整えるという言葉を知りませんでした。
頑張ることしか、知らなかったのだと思います。
そのさなかに、心臓の手術を受けました。
経営者や管理職の方に、頑張るなとは言えません。
ただ、頑張る前に、整える10分があってもよいのではないでしょうか。
判断しない時間が、判断を支える。
そのことに、もっと早く気づいていればと、今でも思っています。
よくある質問
朝は忙しくて10分も取れません
それなら、3分から始めてください。職場でできる短い瞑想を 職場で3分でできる瞑想 にまとめています。3分が続けば、10分は自然に取れるようになります。
瞑想で決断力は上がりますか
「上がる」と言い切ることはできません。ただ、判断する自分が疲れて曇っていれば判断の質は下がり、整っていれば判断は澄みます。瞑想は、判断する側の状態を整えるものです。
部下や社員にも勧めたほうがよいですか
まず、ご自身が続けてからにしてください。上に立つ人が静かに続けている姿は、言葉で勧めるより、はるかに伝わります。強制は、瞑想の性質に合いません。
瞑想中に仕事のアイデアが浮かんだら、メモしてよいですか
浮かぶことはよくあります。ただ、瞑想中にメモを取り始めると、瞑想は終わります。「浮かんだな」と気づいて流し、終わってからメモしてください。本当に大事なことなら、残っています。
宗教色があると社内で言いにくいのですが
瞑想は宗教の儀式ではなく、心と体を整える実践です。信仰は必要ありません。瞑想は宗教か — 信仰がなくてもできるか をご覧ください。


