看護師・介護職の瞑想は、頑張るための技術ではなく、消耗した自分を整えるための短い時間です。
勤務前の3分、休憩中の5分、帰宅後の10分。長く座る必要はなく、椅子でも、立ったままでも行えます。
人をケアする人ほど、自分をケアする時間を後回しにします。瞑想は、その順序を少しだけ戻す実践です。
看護・介護の現場で、何が消耗するのか
看護師や介護職の方々と話すと、消耗の中身は、体の疲れだけではないことが分かります。
一つは、感情の消耗です。患者さんや利用者さんの不安、痛み、苛立ち、家族の要望。それらを受け止め、自分の感情は脇に置いて、穏やかに対応し続ける。これは「感情労働」と呼ばれる種類の疲れで、休んでも抜けにくいものです。
もう一つは、人の死や衰えに日常的に接することの重さです。回復しない人を見続ける、見送る、翌日また別の人を迎える。その重さは、慣れるというより、積もっていきます。
そしてもう一つが、「自分のことは後回し」という習慣です。ケアを仕事にする人は、ケアすることに長けています。しかし、自分がケアされる側に回ることには、不思議なほど不慣れです。「私は大丈夫」「もっと大変な人がいる」。その言葉で、自分の消耗を見ないようにしてしまう。
瞑想は、この三つの消耗に対して、「自分を整える時間を、一日に一つ持つ」という形で向き合います。問題を解決するわけではありません。ただ、消耗したまま次の勤務に入る、という流れを、一度止めます。
「頑張るより、整える。」
私は、瞑想の基本姿勢を「頑張るより、整える。」と言っています。看護・介護の現場にいる方には、特にこの言葉を伝えたいと思います。
現場の方々は、すでに十分に頑張っています。瞑想を「もう一つの努力」として積み上げれば、それは消耗を増やすだけです。瞑想は、努力の上に乗せるものではなく、努力の合間に置く、何もしない時間です。
整える、とは、何かを足すことではありません。乱れた呼吸を静かに戻し、上がった肩を下ろし、張りつめた表情を緩める。それだけです。仏教の瞑想では、これを「調身・調息・調心(ちょうしん・ちょうそく・ちょうしん)」と言います。体を調え、息を調え、心を調える。この順序が大事で、心から整えようとするとうまくいきません。体と息から入れば、心は後からついてきます。
勤務中に心を整えようとしても難しいでしょう。しかし、肩を下ろし、息を一つ深く吐くことなら、ナースステーションでも、利用者さんの居室の前でもできます。それが、現場の瞑想の入口です。
勤務の前・途中・後にできる瞑想
長く座る必要はありません。三つの場面に分けて、手順を示します。
勤務前の3分。更衣室や車の中で。椅子に座るか、立ったままでもかまいません。目を閉じるか、半眼にします。吐く息で「ひとつ」、次の吐く息で「ふたつ」と心の中で数え、10まで数えたら「ひとつ」に戻ります。これを数息観(すそくかん)と言います。3分で、「今日の勤務に入る前の、自分の呼吸」を一度確かめます。
休憩中の5分。休憩室の椅子で。スマートフォンを見る前に、5分だけ。座り方は、浅めに腰かけ、足の裏を床につけ、背筋を自然に伸ばします。息を数えます。先ほど対応した場面が浮かんできても、消そうとせず、「浮かんだな」と気づいて、数に戻ります。感情を処理しようとしないでください。ただ、呼吸に戻るだけです。
帰宅後の10分。制服を脱ぎ、シャワーを浴びた後に。椅子でも、横になってもかまいません。夜勤明けなら、横になって、そのまま眠ってもよいのです。目を閉じて、息を数えます。今日見た顔、聞いた声、できなかったこと。浮かんでは流し、浮かんでは流します。10分経ったら、終わりです。
いずれも、「うまくできたか」は評価しないでください。消耗した日ほど雑念は多くなりますが、それは失敗ではなく、消耗の証拠です。瞑想中に雑念が消えないとき もご覧ください。
感情が溢れたとき
現場の方が瞑想をすると、ときに涙が出ることがあります。勤務中は脇に置いていた感情が、静かに座ったとたんに戻ってくるためです。
これは異常ではありません。むしろ、脇に置いた感情が、戻る場所を見つけたということです。拭いてもいいし、拭かなくてもいい。涙が止まるまで座っていてもいいし、途中でやめてもかまいません。瞑想中に涙が出る・感情が溢れる にまとめています。
一方で、瞑想をすると、不安や恐怖が強くなる、特定の場面が繰り返し浮かんで苦しくなる、という場合もあります。そのときは、瞑想を続けるのではなく、やめてください。目を開け、体を動かし、誰かと話す。それでも続くなら、心療内科や、職場の相談窓口に話してください。瞑想は万能ではなく、医療の代わりにもなりません。瞑想で不安や恐怖が強くなるとき をご覧ください。
医療・ケアの現場と瞑想の研究について
医療従事者のストレスや燃え尽きに対して、マインドフルネスに基づく介入(Kabat-Zinn が開発した MBSR など)を用いた研究が、国内外で積み重ねられています。瞑想のプログラムが不安や抑うつ、痛みに対して中程度の効果を示したという報告は、メタ分析(Goyal ほか、2014年)にもまとめられています。ただし、効果の大きさは限定的とされ、「瞑想で燃え尽きが治る」と言えるものではありません。
私が理事長を務める一般社団法人 仏教補完代替医療機構でも、各種の瞑想法の研究や講義を行っています。ここで明確にしておきたいのは、瞑想は医療行為ではない、ということです。治療を補う、あるいは治療とは別の次元でその人を支える実践として位置づけており、診断や治療に代わるものではありません。現場の方が瞑想を取り入れる際も、同じ位置づけでお考えください。
仏教から見た「ケアする人のケア」
仏教には「慈悲」という言葉があります。慈は、相手の幸せを願う心。悲は、相手の苦しみを取り除きたいと願う心。看護・介護の仕事は、この慈悲を日々形にする仕事だと、私は思っています。
ただ、仏教の慈悲の瞑想(メッタ)には、順序があります。まず、自分自身の幸せを願う。次に、身近な人、そして関わりのない人、苦手な人へと、願いを広げていく。自分を飛ばして他者に向かう慈悲は、長くは続かないという知恵が、この順序には込められています。
現場の方々は、この順序を逆にしがちです。他者への慈悲を先に、自分への慈悲は後回し、あるいは無し。瞑想は、この順序を少しだけ戻します。朝の3分、自分の呼吸を確かめることは、自分への小さな慈悲です。それがあって初めて、他者への慈悲が、消耗ではなく、持続する力になります。慈悲の瞑想については 慈悲の瞑想(メッタ)とは をご覧ください。
康照から、ひとこと
私は、葬儀や法要の場で、多くのご家族と向き合ってきました。
そこで、看護師さんや介護職の方への感謝の言葉を聞くことがあります。
「最後まで、よくしていただいた」と。
その言葉の裏に、どれだけの消耗があったかを、私は想像することしかできません。
ケアする人は、ケアされることに不慣れだと思っています。
でも、自分を整えることは、怠けではないのではないでしょうか。
むしろ、明日もケアを続けるための、静かな準備だと思っています。
3分でいい。
自分の呼吸を、一度、確かめてください。
よくある質問
夜勤明けで、座る気力がありません
座らなくてかまいません。横になって、目を閉じ、息を数えて、そのまま眠ってください。それも瞑想の一つの形です。寝ながら瞑想はできるか をご覧ください。
職場で瞑想していると、サボっていると思われませんか
目を閉じて3分座っているだけなら、休憩しているようにしか見えません。瞑想と宣言する必要はありません。息を数えているだけです。
患者さんや利用者さんに瞑想を勧めてもよいですか
ご自身が続けていて、相手が関心を示したなら、「静かに呼吸を数えてみる」程度の提案は差し支えないでしょう。ただし、治療の代わりになるような言い方は避けてください。医療行為ではありません。
瞑想をすると、辛い場面がよみがえって苦しくなります
無理に続けないでください。目を開け、体を動かし、人と話してください。繰り返すようなら、心療内科や相談窓口に話すことを勧めます。瞑想は、そのような場面に一人で向き合うための道具ではありません。
燃え尽きを防げますか
「防げる」とは言えません。瞑想は、消耗したまま次に進む流れを一度止める時間です。それが積み重なることで、少し楽になる、という程度に考えてください。
関連するページ
参考文献
- Goyal M, Singh S, Sibinga EMS, et al. “Meditation Programs for Psychological Stress and Well-being: A Systematic Review and Meta-analysis.” JAMA Internal Medicine, 2014.
- Kabat-Zinn, J. (1990). Full Catastrophe Living. Delacorte Press.(MBSR=マインドフルネスストレス低減法の原典)


