瞑想中に体が揺れる、あるいは勝手に動くように感じることは、珍しくありません。多くは筋肉の緩みや姿勢の崩れから起きます。
対処は一つです。体の中心、つまり骨盤の上に背骨が乗っている軸を意識して、止める。私はそう伝えています。
揺れに特別な意味を探す必要はありません。揺れに身を任せず、軸に戻ってください。
瞑想中に体が揺れるのはなぜか
座って息を数えているうちに、体が前後にゆらゆらと揺れ始める。左右に傾いていく。あるいは、頭がゆっくり回るように動く。瞑想を始めてしばらくした方から、こうした経験をよく聞きます。「何かが起きているのではないか」と驚く方も、「これは良い兆候なのか」と期待する方もいます。
揺れの原因として考えられるのは、おもに次のようなことです。
一つ目は、筋肉の緩みです。瞑想が進んで体の緊張が抜けると、普段は無意識に姿勢を保っていた筋肉も緩みます。その結果、体を支える力が弱まり、揺れが出ます。深く緩んだときに起きやすいもので、それ自体は悪いことではありません。
二つ目は、姿勢の崩れです。骨盤が後ろに倒れて背骨が丸まる、あるいは腰を反らせすぎる。軸から外れた姿勢を保とうとして、体が揺れながらバランスを取り直している状態です。
三つ目は、眠気です。うとうとしかけると、首や上体が前に落ちて、はっと戻る。これを繰り返すと、揺れているように感じます。
四つ目は、呼吸に体が同調することです。深い呼吸に合わせて上体がわずかに前後する。これは自然なことで、気になるほど大きくなければ、そのままで構いません。
いずれも、体の仕組みで説明がつくものです。揺れること自体は、瞑想が深まっている証拠でも、何かが入り込んだ印でもありません。
対処 — 中心(軸)を意識して止める
揺れに気づいたら、私は体の中心を意識して止めるように伝えています。具体的には、次のようにします。
- 揺れていることに気づきます。
- 坐骨(お尻の骨)が座面に触れている感覚を確かめます。両方の坐骨に、均等に体重が乗っているかを見ます。
- 骨盤の上に背骨が乗り、背骨の上に頭が乗っている、という縦の線を意識します。頭のてっぺんが天井から糸で吊られているように感じると、軸が見つけやすくなります。
- その軸に、体を静かに戻します。力で固めるのではなく、軸の上に乗せ直す、という感覚です。
- 息に戻ります。
揺れは、軸から外れているときに起きます。軸に戻れば、自然と収まります。「揺れを止めよう」と力むのではなく、「軸に乗せ直す」ことが要点です。力で止めようとすると、今度は別の緊張が生まれて、また揺れます。
軸が分からない方は、座り始めに一度、体を前後左右に小さく揺らしてみてください。揺れの幅を少しずつ小さくしていき、ちょうど真ん中で止まる。その位置が、その日の軸です。これは禅の坐禅で「左右揺振(さゆうようしん)」と呼ばれる動作と同じ考え方です。坐禅では、座り始めと終わりに体を左右に揺らして、中心を確かめます。揺れを使って軸を探す、という知恵です。姿勢の基本は瞑想の正しい姿勢 — 椅子でも床でもに書きました。
揺れに身を任せないほうがよい理由
「揺れているなら、揺れに任せたほうが自然ではないか」「止めるのは不自然ではないか」と思う方もいるかもしれません。
揺れに身を任せると、二つのことが起きます。一つは、注意が揺れのほうに向くことです。揺れを感じ、揺れを追い、揺れが大きくなるのを眺める。その間、息には戻っていません。瞑想の対象が、息から揺れにすり替わっています。
もう一つは、揺れが大きくなっていくことです。揺れに任せると、筋肉はさらに緩み、姿勢はさらに崩れ、揺れは増幅します。やがて座っていられなくなります。
瞑想は、心を一つの対象に定める練習です。体が揺れることは、その練習の妨げにこそなれ、助けにはなりません。ですから、揺れに気づいたら軸に戻る。何度揺れても、何度でも戻る。雑念に気づいて息に戻るのと、まったく同じ構造です。雑念の扱いは瞑想中に雑念が消えないときに書きました。
揺れに意味づけをしない
瞑想や身体技法の世界には、瞑想中の体の動きに、何らかのエネルギーの働きや、心身の浄化の印といった意味を与える見方もあります。ヨガや気功の一部の流派では、自発的に体が動くことを修練の過程として位置づけることもあるようです。それらの体系の中では、それぞれの意味があるのだと思います。
ただ、私はこのサイトで、揺れに意味づけをしません。理由は、意味づけをすると、揺れを「求める」ようになるからです。「揺れたほうが進んでいる」と思えば、揺れを待ち、揺れを喜び、揺れないと不安になる。これは、瞑想の方向と逆です。
仏教の瞑想では、座っている最中に起きる体の変化や、光や音や感覚の変化を、よいものとも悪いものとも決めず、ただ通り過ぎさせることを基本にしています。揺れも、その一つです。意味を与えず、軸に戻る。これがいちばん安全で、いちばん瞑想を妨げない扱い方だと思います。
止まらないとき、動きが大きくなるとき
軸を意識しても揺れが止まらない、あるいは、揺れが大きくなって自分で制御できないように感じる場合は、次のようにしてください。
- 目を開けます。閉眼で揺れているなら、開眼にすると体の位置が視覚で分かり、揺れが収まりやすくなります。
- 一度、瞑想をやめて、立ち上がります。歩いて体を確かめ、落ち着いてから、座り直すか、その日は終えます。
- 椅子に替えます。床で揺れが止まらないなら、椅子で足の裏を床につけて座ると安定します。
- 時間を短くします。長く座るほど筋肉は緩みます。揺れが出る前に終える長さにして、少しずつ延ばします。
体が勝手に動く感覚が強く、恐怖や不安を伴う場合、あるいは瞑想を終えても動きや違和感が続く場合は、無理に瞑想を続けないでください。過度な瞑想をやめ、酷い場合は心療内科などを受診することを勧めます。瞑想中に起きる強い体験の扱いは瞑想で不安や恐怖が強くなるときと瞑想の危険性 — 魔境・禅病とは何かに書きました。
仏教から見た「軸」
仏教の瞑想では、体を整えること(調身)が最初に置かれています。整えるとは、形を固めることではなく、「中心に戻れる状態」を作ることだと私は理解しています。坐禅の左右揺振が、揺れを禁じるのではなく、揺れを使って中心を探すのは、その表れです。
密教では、座っている体そのものを身密(しんみつ・身・口・意の三密のうち体の働き)として重んじます。骨盤の上に背骨が立ち、その上に頭が乗る。この軸が立っているとき、体はすでに整った状態を表している、と見ます。揺れて軸から外れた体を、軸に戻す。それは単に座り直すことではなく、整った状態に戻ることです。
ただし、これは密教だけの見方ではありません。禅も、上座部も、ヨガも、座る瞑想を行う体系はどれも、背骨の軸を大事にしてきました。体の中心に戻ることは、心の中心に戻ることと、どこかでつながっている。そう考えてきた点で、各流派は同じ方向を向いています。
康照から、ひとこと
私は、体が揺れた人に、「軸に戻ってください」とだけ伝えています。
揺れることに、意味はいりません。
揺れた、気づいた、軸に戻った。
それで十分だと思っています。
揺れは、何かが起きている印ではありません。
むしろ、「今、軸から外れていますよ」と体が教えてくれている、ただそれだけのことではないでしょうか。
雑念に気づいて息に戻るように、揺れに気づいて軸に戻る。
何度でも戻ればよいと思います。
よくある質問
揺れるのは、瞑想が深まっている証拠ですか
深まっている証拠とは言えません。筋肉が緩んだときに起きやすいのは確かですが、緩むことと深まることは別です。揺れを進歩の印と見なすと、揺れを求めるようになり、瞑想の方向から外れます。気づいたら軸に戻ってください。
呼吸に合わせて体がわずかに動くのも止めるべきですか
深い呼吸に合わせた小さな動きは自然なもので、止める必要はありません。気になるほど大きい場合だけ、軸を意識してください。小さな動きまで固めようとすると、かえって緊張します。
頭だけが揺れたり、回ったりします
首の筋肉が緩んだときに起きやすい動きです。顎を軽く引き、頭のてっぺんが糸で吊られているように感じて、頭を背骨の上に乗せ直してください。眠気で頭が落ちている場合は、目を開けてください。
揺れを止めると、瞑想が浅くなる気がします
揺れているときに「深い」と感じるのは、緩んだ心地よさを深さと取り違えていることが多いようです。瞑想の深さは、息に戻れているかどうかで決まります。軸に戻って息に戻れているなら、揺れを止めたことで浅くなることはありません。


