瞑想と痛みとの付き合い方 — 痛みを消すのではなく、観る

効果・目的別

瞑想は、痛みを消すものではありません。痛みに対する心の反応を変える実践です。
慢性の痛みを抱える人に瞑想が中程度の助けになるという報告はありますが、痛みの原因を治すものではなく、医療の代わりにはなりません。
仏教は古くから、痛みそのものと、痛みに対する苦しみを分けて考えてきました。瞑想が働くのは、後者の部分です。

瞑想で痛みは和らぐのか

「瞑想で痛みが和らぐ」と言うとき、二つの意味が混ざっています。一つは、痛みの感覚そのものが弱まるという意味。もう一つは、痛みがあっても、それに振り回される苦しさが減るという意味です。

研究が示しているのは、主に後者です。瞑想を続けた人は、痛みの強さそのものはあまり変わらなくても、痛みによる生活の支障や、痛みに伴う不安・落ち込みが軽くなる傾向がある、という報告が多くあります。痛みの感覚の強さが下がったという報告もありますが、効果の大きさは中程度で、人によって差があります。

このページでは、瞑想が痛みにどう働くのか、どんな研究があるのか、実際にどう坐ればよいのか、そして、瞑想に頼ってはいけない場面はどこかを書きます。慢性の痛みを抱える方、持病の痛みと付き合っている方、瞑想中の足の痛みに困っている方、それぞれに向けて書いています。

研究で分かっていること

瞑想と痛みの研究は、マインドフルネスの医療応用の出発点でもあります。

Kabat-Zinn の慢性疼痛研究
ジョン・カバットジンは、マサチューセッツ大学の病院で、慢性の痛みを抱える患者を対象にマインドフルネス瞑想を中心とするプログラムを行い、1982年に『General Hospital Psychiatry』に報告しました。これが、後にマインドフルネスストレス低減法(MBSR)として広まるプログラムの原型です。この報告では、参加者の多くで痛みの評価や気分の指標に好ましい変化が見られたとされていますが、対照群を置かない予備的な研究であり、効果を確定したものではありません。

Goyal らのメタ分析
Goyal らが2014年に発表したメタ分析は、複数の無作為化比較試験をまとめ、マインドフルネス瞑想プログラムが痛みに対して中程度の効果を示したと報告しています。同時に、研究の質にばらつきがあることも指摘されています。

これらをまとめると、「瞑想、特にマインドフルネスの実践は、慢性の痛みを抱える人の苦しさを和らげる方向に働くことが示唆されている。ただし効果は中程度で、痛みの原因を治すものではない」というのが、本稿執筆時点での妥当な理解です。

痛みと苦しみは別のもの — 仏教の「二の矢」

瞑想が痛みにどう働くかを理解するうえで、仏教の古い教えが役に立ちます。「二の矢」の教えです。

経典に、こういう話があります。矢に射られた人は、その矢の痛みを受ける。しかし、教えを知らない人は、痛みに続いて、嘆き、悲しみ、怒り、恐れという第二の矢を自分で自分に射る。教えを知る人は、一本目の矢は受けるが、二本目の矢は射らない。

一本目の矢は、痛みそのものです。これは体に起きることで、心の持ちようで消せるものではありません。二本目の矢は、痛みに対する反応です。「この痛みはいつまで続くのか」「もう治らないのではないか」「なぜ自分だけが」という思いが、痛みの上に苦しみを重ねます。

瞑想が働くのは、この二本目の矢の部分です。痛みをなくすのではなく、痛みに反応して重ねる苦しみを減らす。慢性の痛みを抱える人の生活の支障が減るという研究の結果は、この教えと重なっているように思います。

痛みを観る瞑想のやり方

痛みがあるときの瞑想の手順を書きます。これは痛みを消す方法ではなく、痛みとの距離を変える方法です。

  1. 姿勢を楽にする
    痛みがある方は、無理に床で坐る必要はありません。椅子でも、横になってもかまいません。痛みが強くなる姿勢は避けてください。

  2. まず呼吸に戻る
    しばらく息を数え、心を少し落ち着けます。痛みが強くて数えられないときは、吐く息だけを感じます。

  3. 痛みの場所に注意を向ける
    痛みから逃げるのではなく、痛みのある場所に、そっと注意を向けます。「痛い」という言葉ではなく、感覚そのものを観ます。熱いのか、重いのか、刺すようなのか、脈打つのか。広がっているのか、一点なのか。

  4. 変化を観る
    しばらく観ていると、痛みが一定ではないことに気づきます。強くなり、弱まり、場所が少しずれる。痛みは固い塊ではなく、揺れ動く感覚の集まりだと分かってきます。

  5. 反応を観る
    痛みを観ているうちに、「嫌だ」「いつまで続くのか」という思いが浮かびます。それが二本目の矢です。思いが浮かんだことに気づき、それも流して、また感覚に戻ります。

  6. 呼吸に戻って終える
    数分観たら、呼吸に注意を戻し、ゆっくり終えます。

この方法は、ボディスキャンの応用です(ボディスキャン瞑想のやり方)。痛みを観ると最初は痛みが強く感じられることもあります。そのときは呼吸に戻り、短い時間から始めてください。

瞑想中の痛みについて

ここまでは、日常の痛みの話でした。もう一つ、瞑想中に出てくる痛み、つまり足のしびれや腰の痛みについても触れておきます。

これは、姿勢と時間の問題であることがほとんどです。腰の位置を高くする、椅子に替える、時間を短くする、といった工夫で、多くは解決します。痛みを我慢して坐り続けることは、修行ではありません。体を痛める坐り方は、長く続けるうえで損です。詳しくは 瞑想中に体が痛い・足がしびれる に書きました。

一方で、少しの痛みや違和感を「観る」対象にすることは、上に書いた練習として役に立ちます。我慢するのではなく、観る。限度を超えたら姿勢を変える。この二つを両立させてください。

瞑想に頼ってはいけない場面

このページで一番大切なことを書きます。痛みは、体からの信号です。瞑想で信号を聞き流してはいけません。

  • 新しく出た痛み、急に強くなった痛み、原因の分からない痛みは、まず医療機関で調べてください。瞑想はその後です。
  • 診断がついている痛みでも、治療や薬を自己判断でやめて瞑想に置き換えることは、絶対にしないでください。
  • 瞑想は、痛みの医療と並行して行うものです。主治医に「瞑想をしている」と伝えておくとよいです。
  • 痛みを観る瞑想で、かえって痛みへの不安が強くなる場合は、やり方を変えるか、いったんやめてください。

私は瞑想を教え、研究してきた者であり、医療者ではありません。痛みの原因を判断することも、治療を助言することもできません。このページで書けるのは、痛みがあるときの心の扱い方だけです。病と向き合う場面での瞑想は 病と向き合うときの瞑想 にも書きました。

康照から、ひとこと

私は、痛みを消す力を瞑想に求めたことはありません。
痛みは、消えないときは消えません。
ただ、痛みを「嫌だ」と押し返している時間と、痛みをそのまま観ている時間とでは、心の疲れ方がまったく違うように感じます。
二本目の矢を射ないこと。
それは、痛みに負けることではありません。むしろ、痛みと同じ部屋にいながら、別の椅子に坐るようなことだと思っています。
消せない痛みとどう暮らすか。
その問いに、瞑想は、小さな答えを一つ持っているのではないでしょうか。

よくある質問

瞑想で慢性の痛みは治りますか

治りません。痛みの原因を治すのは医療です。瞑想が働くのは、痛みに伴う苦しさや生活の支障の部分であり、それについては中程度の助けになるという報告があります。

痛みがあるときに瞑想するのは逆効果ではありませんか

痛みを観ると、最初は痛みが強く感じられることがあります。その場合は呼吸に戻り、短い時間から始めてください。不安が強まるなら、いったんやめてかまいません。

痛み止めを飲みながら瞑想してもいいですか

かまいません。薬をやめて瞑想に置き換えることはしないでください。瞑想は医療と並行して行うものです。

瞑想中に足が痛くなります。我慢すべきですか

我慢する必要はありません。姿勢を変える、椅子にする、時間を短くする、で解決することがほとんどです。少しの違和感を観る練習にするのはよいですが、限度を超えたら姿勢を変えてください。

頭痛のときに瞑想すると楽になりますか

人によります。呼吸を整えることで楽になる方もいれば、集中が頭痛を強める方もいます。頻繁な頭痛や強い頭痛は、瞑想より先に医療機関で原因を調べてください。

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参考文献

  • Kabat-Zinn, J. (1982). An outpatient program in behavioral medicine for chronic pain patients based on the practice of mindfulness meditation: Theoretical considerations and preliminary results. General Hospital Psychiatry, 4(1), 33–47.
  • Goyal, M. et al. (2014). Meditation Programs for Psychological Stress and Well-being: A Systematic Review and Meta-analysis. JAMA Internal Medicine, 174(3), 357–368.
  • 『箭経』(Sallatha Sutta、相応部経典。「二の矢」の教えを説く)